【タコピーの原罪 6話最終回感想】「わかんない」と絶望のループを断ち切る”硝子の線”

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「わかんない」。

アニメ『タコピーの原罪』、全6話。そのあまりにも衝撃的で、そして静かな最終回を見届けた私の頭に最初に浮かんだのは、この一言でした。呆然とエンドロールを眺めながら、胸に去来するのは、キャラクターたちへの愛おしさと、どうしようもない切なさ、そして、この感情をどう名付ければいいのか「わからない」という、深い戸惑いでした。

可愛らしいタコの宇宙人が、いじめられる少女を救う物語。そんな牧歌的な導入から一転、私たちは小学生という閉鎖された世界で繰り広げられる、いじめ、ネグレクト、家庭不和、そして死の連鎖という、目を覆いたくなるような現実に引きずり込まれました。タコピーの純粋な善意が、ことごとく裏目に出て悲劇を加速させていく様は、まさに「地獄」そのものでした。

この物語は、どこへ向かうのか。彼らに救いはあるのか。固唾をのんで見守った先に待っていたのは、単純なハッピーエンドでも、完全なバッドエンドでもない、涙で滲んだ世界の中に、確かに存在する一筋の光でした。

このブログは、最終話を見終えた直後の、あの「わかんない」という感情の正体を探る旅です。エンディングテーマに隠された仕掛け、タイトルに込められた意味、そして、タコピーが命を懸けて残した「救い」のかたちについて、深く、深く、掘り下げていきたいと思います。

※本記事は、アニメ『タコピーの原罪』全話の重大なネタバレを含みます。未視聴の方は、必ず物語の結末を見届けてからお読みください。


「きみ」から「きみたち」へ。タイトルが導く、救済の軌跡

あの「わからない」という感情の正体を探る旅の第一歩として、エンディングテーマの変化に触れる前に、まず物語の道標であった「各話のタイトル」を振り返る必要があります。特に象徴的だったのは、第1話、第5話、そして最終話のタイトルです。

  • 第1話:2016年のきみへ
  • 第5話:2022年のきみへ
  • 最終話:2016年のきみたちへ

この「きみ」から「きみたち」への変化、そして時間軸の跳躍にこそ、タコピーの旅路と、この物語が描こうとした救済の本当の意味が隠されています。

第1話「2016年のきみへ」――誤解された、始まりの言葉

物語は「2016年のきみへ」という、誰かに宛てた手紙のようなタイトルで幕を開けます。私たちは当然のように、この「きみ」を、タコピーが最初に出会った悲劇のヒロイン・久世しずかだと信じて疑いませんでした。しかし、物語の全てを知った今、この言葉が持つ多層的な意味に気づかされます。

この呼びかけは、表面的には「しずか」へ向けられたものですが、物語の構造を深く読み解くと、それは「2022年のまりな」の願いを受けて過去に飛んだタコピーから、悲劇の元凶となるしずかへ向けられた言葉とも解釈できます。あるいは、タコピー自身が自分の犯した「原罪」の記憶をなくし、純粋な救済者としてしずかに向き合おうとした、その決意表明だったのかもしれません。このタイトルの主語と対象が意図的に曖昧にされていることこそが、私たちが安易に善悪を判断し、一方の視点に立つことの危うさを、初回から突きつけていたのです。

第5話「2022年のきみへ」――反転する世界と、もう一人の「きみ」

物語が根底から覆ったのが、第5話「2022年のきみへ」でした。時間軸は6年後の2022年へと跳躍し、呼びかけの対象である「きみ」は、高校生になった雲母坂まりなへと明確に切り替わります。ここで私たちは、絶対的な加害者だと思っていたまりなもまた、壊れた家庭の中で絶望し、救いを求める一人の弱い少女であったことを知るのです。

しずかを救おうとすれば、まりなを理解しなければならない。この回で示された視点の反転は、単なるサプライズ展開ではありません。それは、「どちらか一方だけを救うことはできない」という、この物語の核心的なテーマを私たちに突きつけました。しずかという「きみ」を救う物語は、まりなというもう一人の「きみ」を救う物語でもあった。この気づきによって、『タコピーの原罪』は、単純な勧善懲悪から、人間のどうしようもない複雑さを描く深遠な物語へと飛躍したのです。

なぜ「2016年」と「2022年」だったのか

この物語はなぜ、この二つの時間軸を往復する必要があったのでしょうか。それは、「原因」と「結果」を鮮烈に対比させるためでした。

「2016年」は、彼女たちがまだ小学生で、未来の可能性が閉ざされていなかった「悲劇の原点」です。一方で「2022年」は、その原点から生まれた歪んだ人間関係が固定化し、取り返しのつかない「絶望的な結果」として描かれます。タコピーの介入によって何度も書き換えられる「2016年」と、その度に異なる様相を見せる「2022年」。この二つの時間を往復する構造は、「過去の小さな選択が、未来にどれほど大きな影響を与えるか」という因果の恐ろしさと、それでもなお存在する「やり直しの可能性」を、私たちに強く印象付けました。

最終話「2016年のきみたちへ」――単数から複数へ、救済の昇華

そして物語は、最終話「2016年のきみたちへ」で締めくくられます。ここで最も重要なのは、救済の対象が「きみ」という単数から、「きみたち」という複数形へと変化したことです。

タコピーは最後の最後で、しずか一人、まりな一人を救うという個別的な救済を放棄しました。彼が救おうとしたのは、しずか、まりな、そして彼らを傍観していた東直樹という、三人それぞれの心と、彼らが織りなす「関係性」そのものだったのです。タコピーの自己犠牲は、彼らが抱える家庭環境などの問題を根本的に解決するものではありません。それは、彼らが互いを赦し、不器用にでも「おはなし」を始め、自らの足で未来を再構築していくための、たった一度きりの「きっかけ」をプレゼントすることでした。

再び「2016年」という始まりの年に彼らを送り届け、「きみたちへ」と呼びかけたタコピー。それは、特定の誰かへの介入ではなく、彼ら全員の未来を信じて委ねるという、最も尊く、そして最も切ない「救い」の形だったのです。

静かな違和感。最終話エンディングに隠された「答え」

物語の衝撃に心を奪われ、エンドロールをぼんやりと眺めていた時、ふと、ある違和感に気づきました。いつもと同じ、Teleさんが手掛けるエンディングテーマのはずなのに、何かが違う。

耳に飛び込んできたのは、これまで聴き慣れた「ほらね、もとどおりだよ。」というフレーズではありませんでした。そして、画面に映し出されたタイトル表記も、見慣れたものではなかったのです。

  • タイトル表記:ひらがなの「がらすの線」から、漢字の「硝子の線」へ。
  • 歌い出しの歌詞「ほらね、もとどおりだよ。」から、「わかんないよ、ごめんね。」へ。

この変化は、単なる偶然や気まぐれではありません。間違いなく、制作者たちが仕掛けた、物語の結論を示すための、意図的な演出でした。この小さな、しかし決定的な変化にこそ、最終話の、そして『タコピーの原罪』という物語全体の核心が隠されているように思えたのです。

繰り返される絶望の歌、『がらすの線』

まずは、この変化の意味を理解するために、5話まで使われていた歌詞を振り返ってみましょう。

【5話までのエンディングテーマ『がらすの線』】

ほらね、もとどおりだよ。
相変わらず君がなぞる、
がらすの線。
ほらね、元通りだよ。
ばらばらも、いつの日か。

初めまして、僕が台無しにした光。
欠けた肌で君を歪める、プリズム。
誰も気づかない、
何も聴こえない、
いっそ、溶かしてしまえば楽なのに。

まだ、
何度も、何度も繰り返す。
何度も、破片を繋いでいく。
感度も、彩度も鈍らせて。
がらすの線。

5話までのエンディングテーマ表示

この歌詞は、まさに『タコピーの原罪』のループ構造そのものでした。タコピーがハッピー道具を使って時間を巻き戻し、悲劇を「なかったこと」にする。しかし、根本的な問題は何一つ解決しておらず、少女たちの心は麻痺し、絶望はより深く沈殿していく。「もとどおり」になることは、決して救いではなく、終わらない悪夢の再演でしかなかったのです。「何も望んでない」「何も変わってほしくない」というフレーズは、希望を失い、変化を恐れる登場人物たちの、痛々しい心の叫びのようにも聞こえます。

絶望のループを断ち切る『硝子の線』

対して、最終話で流れた歌詞は、この絶望的なループに、明確な終わりを告げていました。

【最終6話のエンディングテーマ『硝子の線』】

わかんないよ、ごめんね。
魔法は今どこにいるの。
かくれんぼの続きはほら、
どうかまた明日。

誰もいない台所、うざい夕陽と排水溝。
100円のクリームパンじゃ、
愛が何か暗記できない。
君の頬の線をなぞる。
僕が魔法になるから、理由になるから。

話をしようよ、
とびっきり馬鹿げた事。
それは何よりも透明な光。
破片をその手に。

「わかんないよ」。それは、物語を見終えた私の最初の感想であり、同時に、しずかちゃんが初めて自らの口で吐露した、偽りのない感情でした。作品の中でもしずかはタコピーの自己犠牲の真意を問われ、涙ながらに「わかんないよ」と答えます。この歌詞は、彼女の心の奥底からの、不器用で、しかし何よりも誠実な告白なのです。

最終回のエンディングテーマ表示

もはや、そこには「もとどおり」という諦観はありません。「わかんない」と認めることは、安易な解決策への依存からの脱却であり、不確かで不透明な現実と向き合い、自らの足で歩き始めるという、未来への意志表示に他なりません。この歌詞の変更は、『硝子の線』という硬質のタイトルが絶望のループを断ち切り、物語が「ループ」から「未来」へと、確かな一歩を踏み出した瞬間を、鮮やかに切り取っていたのです。


「がらす」から「硝子」へ。少女たちの世界の変容

歌詞だけでなく、タイトル表記が「がらす」から「硝子」へと変わったことにも、深い意味が込められています。

ぼやけていた世界の輪郭、「がらす」の線

ひらがなの「がらす」が持つ、どこか幼く、輪郭のぼやけた、脆い響き。それは、しずかやまりな、そしてタコピー自身が、問題の本当の恐ろしさや本質から目を背け、現実感のない世界をループしていた1話から5話までの物語そのものを象徴していたのではないでしょうか。

彼女たちの間に引かれていたのは、鋭利な境界線というよりは、触れても痛みを感じない、現実味のない「がらすの線」でした。いじめも、ネグレクトも、死でさえも、ハッピー道具によって「なかったこと」にできる。だからこそ、彼女たちは問題の核心に触れることなく、痛みに鈍感になり、ただただ同じ場所を回り続けていたのです。

触れれば傷つく、透明な現実。「硝子」の線

対して、最終話で示された漢字の「硝子」。これは、もはやぼんやりとした「がらす」ではありません。硬質で、鋭利で、下手をすれば触れた者を深く傷つける、冷たい現実そのものです。

タコピーの犠牲によって、ハッピー道具という魔法は失われました。残された少女たちは、もう安易な「やり直し」はできません。自分たちの抱える問題、家庭環境、そして互いの心に深く刻まれた傷と、生身で向き合わなければならない。それは、透明であるがゆえに残酷なまでに現実を映し出し、触れれば血が流れる、鋭い「硝子の線」です。

しかし、その「硝子」は、ただ鋭いだけではありません。透明だからこそ、その向こう側を見通すこともできる。傷つくことを恐れず、その線に触れ、線を越えて相手と向き合うこと。タコピーが遺した最後の希望とは、この「硝子」の線を越えて「おはなし」をする、その可能性だったのではないでしょうか。

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『タコピーの原罪』とは何だったのか、改めて考える

エンディングに込められた演出を理解した今、私たちは改めて、この物語のタイトルである『タコピーの原罪』の意味を問い直す必要があります。

「原罪」が示す、無垢なる善意の暴力性

「原罪」とは、キリスト教において、人類の祖先が犯した罪により、その子孫全てが生まれながらに背負っているとされる根源的な罪のことです。重要なのは、それが「個人が犯した悪意ある罪」ではなく、「存在そのものが持つ、根源的な性質や欠陥」を指すという点です。

これを踏まえると、タコピーの「原罪」とは、彼が犯した個別の失敗(まりな殺害など)だけを指すのではありません。それは、彼の存在そのもの、すなわち「無知」と「安易な解決策への依存」という性質そのものなのです。

  1. 無知の罪:タコピーは、人間の持つ悪意、嘘、嫉妬、劣等感といった複雑な感情を全く理解できませんでした。彼は純粋な善意だけで動きますが、相手を「知ろう」としないその善意は、時に暴力となり、常に最悪の結果を招きました。
  2. 安易な解決策への依存:タコピーは、あらゆる問題を「ハッピー道具」という外部の力で解決しようとしました。これは、問題の本質から目を背け、対話や相互理解といった、地道で困難な努力を放棄する行為です。この「便利な道具で何でも解決できる」という思考こそが、タコピーという種族が持つ根源的な欠陥、すなわち「原罪」だったのです。

この物語は、『ドラえもん』への強烈なアンチテーゼでもあります。「もしも、ひみつ道具を持つ存在が、人間の悪意を全く理解できなかったら?」という思考実験の果てに生まれたのは、善意の暴走がもたらす、救いのない地獄でした。

私たち誰もが背負う「罪」の連鎖

しかし、「原罪」はタコピーだけのものではありません。登場人物全員が、それぞれの「罪」を背負い、その連鎖の中で苦しんでいました。

  • しずか:被害者でありながら、他者を利用し、嘘をつくという罪。
  • まりな:自らが受けた心の傷(母親からの精神的虐待)を、より弱い者(しずか)へのいじめで発散する、虐待の連鎖という罪。
  • 大人たち:子供たちの世界に無関心で、問題を見て見ぬふりをする罪。

『タコピーの原罪』というタイトルは、タコピー個人の物語であると同時に、人間社会に巣食う根源的な罪の連鎖を描いた、私たち自身の物語でもあるのです。


残された者たちの「救い」のかたち

タコピーが自らの存在と引き換えに残した未来で、しずか、まりな、そして直樹は、本当に「救われた」のでしょうか。最終話が描いたのは、全てが解決する魔法のような奇跡ではありません。そこにあったのは、不完全で、痛みを伴いながらも、確かな希望を感じさせる、現実的な「救い」の姿でした。

タコピーの自己犠牲は、問題を全て消し去るためのものではありませんでした。それは、絶望のループに囚われていた彼らが、自らの力で未来を切り開くための、たった一度きりの「きっかけ」を与えるためのものだったのです。

暴力の連鎖を断ち切り、「おはなし」を始めた少年少女たち

彼らが手にした「救い」の形を、表にまとめてみましょう。

登場人物タコピーがもたらした「きっかけ」得られた「救い」のかたち残された課題
久世しずか対話の機会と、まりなとの関係性のリセット暴力の連鎖からの脱却。他者と「おはなし」する未来への第一歩。まりなという唯一無二の理解者の獲得。劣悪な家庭環境という根本問題。母親との関係。
雲母坂まりなしずかとの対話の機会と、加害と被害のループからの脱却自分の弱さや痛みを認め、他者(しずか)と共有する関係性の構築。暴力ではないコミュニケーションの選択。機能不全な家庭環境。両親との関係。
東 直樹「救う側」であることへの固執からの解放承認欲求に囚われず、他者を見守り、対等な関係を築こうとする姿勢への成長。自らの足で立つ強さの獲得。優秀な兄との比較や母親からのプレッシャーというコンプレックスの克服。

しずかとまりなは、互いを傷つけ合う関係から、互いの痛みを分かち合い、支え合う関係へと踏み出しました。タコピーが消えた世界で、彼女たちはタコピーの言葉を借りるように、「おはなし、するっピ」と不器用にコミュニケーションを始めます。タコピーの記憶は失われても、彼が遺した「対話」という意志は、確かに二人の心に刻み込まれていたのです。

東直樹もまた、「誰かを救うことで自分を肯定したい」という歪んだ承認欲求から解放されました。彼は、介入するのではなく、ただ二人を見守ることを選びます。それは、彼の人間的な成長の証であり、彼自身の「救い」の形でした。

もちろん、彼女たちの家庭環境という根本的な問題は、何一つ解決していません。しかし、彼女たちはもう一人ではありません。どんな困難な状況にあっても、共に向き合い、支え合える存在を得たこと。それこそが、タコピーがもたらした、何物にも代えがたい「救い」だったのです。


涙なしには見られない、キービジュアルに込められた別れの言葉

物語の全てを理解した今、改めて、あのキービジュアルを見てみましょう。公式サイトのフロントページを飾り、多くの人が目にしたであろう、あの一枚の絵です。

「ありがとう、バイバイ」。

涙を浮かべながら、それでも穏やかに微笑むタコピー。彼の足元には、全ての始まりであり、彼の「原罪」の象徴でもあった、赤い「仲直りリボン」があります。

このビジュアルは、単なるキャラクター紹介ではありません。それは、タコピーの旅の全てを凝縮した、あまりにも美しく、そして悲しいメッセージです。

  • 「ありがとう」:それは、自分を助けてくれたしずかへの感謝であり、不器用ながらも自分の存在を受け入れてくれた地球への感謝。そして、自らの犠牲によって、少女たちが未来へ歩き出す姿を見届けられたことへの、安堵と満足感の現れでしょう。
  • 「バイバイ」と涙:それは、愛する者たちとの永遠の別れを意味します。自らの存在が消えることの悲しみと、残していく者たちへの想いが、その涙には込められています。
  • 「仲直りリボン」:安易な善意の象徴だったこのリボンに、全てを終えたタコピーが乗っている。これは、彼が自らの「原罪」を乗り越え、少女たちに本当の意味での「仲直り」=「対話による関係性の再構築」をもたらしたことを象徴しています。

この一枚の絵は、タコピーの自己犠牲と、それによってもたらされた希望を、静かに、しかし雄弁に物語っています。物語を見終えた後にもう一度この絵を見ると、彼の「ありがとう、バイバイ」という声が聞こえてくるようで、涙が止まらなくなります。


結論:この最高にアンハッピーな物語が、私たちに伝えたかったこと

『タコピーの原罪』は、間違いなく「しんどい」物語でした。しかし、その絶望の底には、現代社会を生きる私たちへの、切実で普遍的なメッセージが横たわっています。

この物語が私たちに伝えたかったこと。それは、安易な解決策(ハッピー道具)に頼るのではなく、たとえ不完全で、答えが「わからない」としても、他者と向き合い、「おはなし」を続けることの尊さではないでしょうか。

真の優しさとは、一方的に手を差し伸べることではありません。相手を完全に理解することは不可能かもしれないけれど、それでも相手の痛みや苦しみを「知ろう」と努める、その想像力の中にこそ宿るのだと、この物語は教えてくれます。

タコピーは消えてしまいました。しかし、彼が遺したものは、決して無ではありませんでした。しずかとまりなが交わす不器用な「おはなし」の中に、東直樹の静かな眼差しの中に、タコピーは生き続けています。

最終話のエンディングで流れた「わかんないよ、ごめんね」という歌詞。それは、絶望の言葉ではなく、希望の始まりの言葉でした。わからないからこそ、私たちは考え、語り合い、手を伸ばす。その先にしか、本当の救いはない。

最高にハッピーで、最高にアンハッピーなこの物語は、私たちの心に、消えることのない「硝子の線」を深く、鋭く、そして優しく刻み込んだのです。そして、その線の向こう側にいる誰かと、この物語について語り合いたいと、今、強く願っています。

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「タコピーの原罪」を見れるVODは

今回紹介した「タコピーの原罪」を見ることができるVODを紹介します。

「タコピーの原罪」を視聴できるVODサービス一覧

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☆☆☆☆☆今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。皆さまの感想や考察も、ぜひコメントでお聞かせくださいね。

※使用した写真および文章の一部はアニメ公式サイトより転載しました。


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