こんにちは!びわおちゃんブログ&アニオタWorld!へようこそ。
いよいよ『終末ツーリング』も第8話。「霞ヶ浦:モビリティリゾートもてぎ」という、湖とサーキットというちょっと不思議な組み合わせの回でしたね。今回は、アップデートされた「つーりんぐらむ」のスタンプ機能を追いかけて、ヨーコとアイリが霞ヶ浦でレンコン掘り&カモ猟を繰り広げ、そのあと電動セローで憧れのもてぎサーキットへ向かいます。途中、ヨーコのTシャツからチラッと見える「大人になりかけた身体」と、泥んこ遊びで炸裂する子どもっぽさのギャップにニヤリとし、カモを焼いてることをすっかり忘れてタワーに夢中になってしまう二人のおバカっぷりにクスッとさせられつつも、ラストではホタルの光を前に「魂って何?」という、作品全体を貫く重いテーマに真正面から向き合わされます。
この記事では、まず霞ヶ浦とレンコン・カモのシーンを「終末グルメ」と環境の歴史から読み解き、その後もてぎサーキットの現実世界での姿と、夢と現実の“速度差”について語ります。そして何より、ホタルと“魂”の会話を、科学・宗教・民俗・心理・物語という5つの視点から掘り下げ、この作品が「魂」という言葉をどう扱っているのかを、これまでの1~7話の旅路とつなげながらじっくり考察していきます。ゆるいボケと哲学的な問いが同居する、第8話らしい絶妙なバランスを、一緒に味わい直していきましょう。
【ネタバレ注意】本ブログはアニメ第8話の内容に深く踏み込んだ考察と感想・解説です。アニメ本編を未視聴の方はご注意ください。
関東に閉じたツーリングルートへの違和感と納得
「全国ツーリング」だと思っていたのに…ルートをおさらい
まず今回のタイトルを見て、ふと首をかしげました。
霞ヶ浦 → もてぎサーキット。
あれ、この作品ってもっと日本中をぐるっと回るのかと思ってたんだけど…。
ここまでのルートを軽く振り返ると、
- 第1話:箱根
- 第2話:横浜・横須賀
- 第3話:東京(世田谷・新橋・有明・東京ビッグサイト)
- 第4話:秋葉原
- 第5話:流山・利根川運河・木更津
- 第6話:海ほたる
- 第7話:つくば
- そして第8話:霞ヶ浦 → もてぎ
きれいに“関東”から出ていません。
「いやいや、せっかく終末世界をバイクで走れるんだから、北海道とか九州とか行かないの?」と、旅アニメ脳としては少し物足りなさを感じてしまうところ。

でも、あらためて考えてみると、
- 姉チコのツーリングラム(Touringram)が、ルートの“カンペ”になっていること
- 筑波の研究所やシェルターが、この首都圏エリアと深く結びついていること
- 富士山の崩壊や東京の静寂など、“終末の震源地”がこの周辺に集中していそうなこと
を踏まえると、
「この旅は、単なる全国観光ツーリングではなく、
関東一円に散らばった“終末世界の核”を丁寧になぞる巡礼」
とも読めてきます。
7〜8話は「何だったんだろう」回? だからこそ重要な“間”
今回の8話、正直「ストーリー的に何だったんだろう」と感じる方も多いと思います。
2話のロボお父さんや7話の研究所のような、分かりやすいクライマックスや謎解きがほとんどないからです。
でも、ここで一気に地方へ飛ばさず、あえて関東の中で、
- 海ほたる → つくば → 霞ヶ浦 → もてぎ
というラインをじわじわ歩かせているのは、
「ヨーコとアイリが見つめる“世界の根っこ”を描くフェーズ」
に入っているから、という気がしてなりません。
6~7話で、ヨーコ自身の正体や姉チコの仕掛けが一気に怪しくなりました。その直後に8話で描かれるのが、「湖」「サーキット」「ホタル」「魂」。これはもう、ただの寄り道回ではすまされない匂いがぷんぷんです。
今回の記事の軸:泥・スピード・光・魂
そんなわけで、僕はこの作品の軸をこう考えました。

- 霞ヶ浦パート
- レンコンとカモと湖の歴史=「泥と血の手触り」
- もてぎサーキットパート
- モビリティリゾートもてぎの現実の姿と、夢との速度差
- ホタルと魂の会話
- 「魂って何?」を5つの視点で整理し、この作品における魂の描かれ方を考察
その合間に、ヨーコのTシャツお色気ネタや、カモを忘れてたボケなど、
ちゃんと笑えるポイントも拾いながら、緩急をつけて追っていきますね。
霞ヶ浦パート:泥んこレンコンとカモ解体、“生”のざらつき
霞ヶ浦ってどんな湖?面積と環境問題のリアル
タイトルにも大きく「霞ヶ浦」。
ヨーコの説明にもありましたが、霞ヶ浦は実際に、
- 日本で琵琶湖に次いで2番目に大きい湖で、
- 西浦・北浦などを含む水面積は約220km²
というスケールを誇ります。

かつては、ワカサギやシラウオ、ハゼなど、豊富な魚種を抱えた一大湖沼漁業エリアでしたが、高度経済成長期以降、
- 生活排水や工場排水の流入による水質悪化
- ブラックバスなどの外来種の侵入
によって在来魚や水草の生態系が大きなダメージを受けました。
ヨーコが塔の上で、
「魚がたくさんいて漁業も盛んだったみたい。だけど、外来種が増えたとか水質の悪化とかが問題になったりしてたらしい。」
とさらっと説明していたのは、
この現実の霞ヶ浦の歴史をかなり正確になぞっています。
霞ヶ浦とレンコン:泥と水が育てた“日本一”の特産
アイリがカモを追いかけている間、ヨーコは湖畔の沼でレンコンを発見。
ここでちょっとテンションが上がりました。「おお、ちゃんとそこ拾ってくるんだ!」と。
茨城県の霞ヶ浦周辺は、実際に日本一のレンコン産地として知られています。
- 霞ヶ浦沿岸の豊富な水と低湿地帯
- 粘土質で肥沃な土壌
- 40年以上にわたるレンコン栽培の歴史
といった条件が重なり、日本有数どころか“日本一”というポジションまで築き上げました。
だから、ヨーコたちが泥の中からレンコンを掘り起こすシーンは、単なるギャグではなく、
「人がいなくなっても、土地が記憶している“営み”」
を拾い上げる行為にも見えます。

で、そのレンコン掘り。
ヨーコ、完全に泥遊びモードでテンションMAX。
Tシャツは泥でべったべた、でもチラチラ見えるラインはすでに“子ども”ではない。

そこにアイリが、
「体はオトナ、頭脳は小学生」
と、某名探偵オマージュで突っ込むわけですが(ここのセンス大好き)、
視聴者としては「ほんとそれな」と頷きつつ、
“オトナになりかけた身体”と“中身の子どもっぽさ”のギャップにちょっとドキッとさせられる、絶妙なお色気ポイントでもあります。
カモ解体講座と「糧になってくれてありがとう」
そして本日のメインディッシュ、カモ。
- アイリがゴムでっぽうで仕留め
- 二人で手を合わせてから
- 「おおざっぱ解体講座」がスタート
絵はコミカルで、ナレーション主体。
でも、「肛門をくりぬいて内臓を引っ張り出します」など、セリフの中身は妙にリアルで、
「聞きたくない情報をさらっと教えてくる系解説」。ヨーコ、それは言わなくていいやつ。

とはいえ、その前にちゃんと、
「安らかにお眠りください」(ヨーコ)
「糧になってくれてありがとう」(アイリ)
と、二人で手を合わせているのがとても大事で。
終末世界であっても、「命をいただく」ことへの礼儀を手放さない感じが、この作品の優しさだなあと思います。
で、ようやく焼きに入ったところで――
二人は「湖畔の高いタワー」に気を取られてしまい、
カモのことをきれいさっぱり忘れて塔に登ってしまうわけです。
「おい、カモ!」「カモが!」「カモ焼いてたよね!?」
という、視聴者全員ツッコミ待ちのボケ。
あまりに自然に焼きカモを忘れるので、「あ、これはもう絶対焦げてる」と確信しながら見ていました。
こういう“命の重み”と“呑気なボケ”の同居が、
この作品独特の「のんきな終末感」を支えていると感じます。
霞ヶ浦のタワーとスタンプラリー:天空から見下ろす終末世界
霞ヶ浦ふれあいランドの展望塔と、富士山・筑波山のパノラマ
カモが焼き上がる(…はずの)時間を使って、二人が登った“高いタワー”。
ビジュアル的に近いのは、行方市の霞ヶ浦ふれあいランドの展望塔です。

- 球体を抱えた特徴的なシルエット
- 展望台からは360度の大パノラマ
- 霞ヶ浦・筑波山はもちろん、条件が良ければ富士山やスカイツリーまで見渡せるという情報も
実際、冬場など空気が澄んだ日には、
霞ヶ浦や筑波山に加え、富士山・東京の高層ビル群まで一望できる展望地が茨城各所に存在します。
ヨーコが、
「茨城県から富士山が見えるんだ…」
と素直に驚くのは、現実にも十分あり得るシチュエーションです。
終末世界では、大気汚染や光害がほとんどなくなっているはずなので、
なおさら遠くまで見渡せるのかもしれません。
それは、
- 「人が活動していた痕跡が消えた」寂しさであり、
- 「自然本来の姿が戻ってきた」美しさでもある。
塔の上から見下ろす霞ヶ浦は、その両方を静かに抱えた風景でした。
霞ヶ浦の環境史:外来種と水質悪化の痛み
ここでヨーコがさらっと口にした、
「外来種が増えたとか水質の悪化とかが問題になってたらしい」
という一文。
これもまた、現実の霞ヶ浦の環境史をよく押さえています。
- かつては漁業が盛んだったが、水質汚染で在来魚が減少
- 外来種の侵入が、生態系バランスをさらに崩した
…という“二重苦”を経験してきた湖。
今、画面に映るのは、そうした人間活動の結果だけが静まり返った“アフター”なわけですが、
だからこそ、二人の「終末ツーリング」は、
「壊した本人はもういないけれど、その後始末の上を静かに走っている」
旅でもあります。
デジタルスタンプラリー=誰かの“遊び”の亡霊
塔の上で景色を堪能した後、
「つーりんぐらむ」のスタンプ(QRコード)を見つけてスタンプラリー1個目をゲット。

- 終末世界なのに、デジタルサービスはまだ生きている
- 観光客は誰もいないのに、スタンプだけは残っている
この違和感のような、ちょっとした切なさは、第4話の秋葉原で描かれたアキバジローにも通じます。
- アキバジロー=すでに亡くなったタローが、未来の“ゲスト”のために残したAIラジオ放送
- つーりんぐらむのスタンプ=誰も来なくなった観光地で、未来の旅人を静かに待っているデジタルの遊び
どちらも、
「もういない誰かが、“いつか来るかもしれない誰か”のために残した仕掛け」
なんですよね。
ヨーコとアイリがQRコードを読み取るたび、
画面の見えない向こう側で、誰かの「やった!」という顔が一瞬だけ甦るような気がして、
すごく好きなモチーフです。
ちなみにこの時点で、二人はまだカモを焼きっぱなしだという事実を忘れてはいけません。
スタンプラリーの魔力、おそるべし。

霞ヶ浦からもてぎへ:カモは何のメタファーだったのか?
霞ヶ浦→もてぎサーキットの距離感
夕暮れの霞ヶ浦をあとにし、二人はセローでモビリティリゾートもてぎへ向かいます。
実際の地図感覚でいうと、
- 霞ヶ浦沿岸(例:かすみがうら市水族館付近)から
- 旧ツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)まで
自動車ルートの一例で約83km/約1時間半という案内もあります。
霞ヶ浦からなら、日帰りツーリングとして「ギリ現実的」な距離感です。
もちろん作中では、
「夕暮れに出て、Bパートでは太陽真上」という、時間経過にだいぶファンタジーが入っているので、
そのあたりはあまり突っ込まないであげましょう。
でも、「関東の中での移動」「湖→サーキット」というテーマラインは、かなり実在の地理と整合していて、
旅アニメとしての気持ちよさもちゃんとキープされています。
カモは何だったのか?“飛び立つもの”と“走り続けるもの”

さて、ここであらためて冒頭のカモを振り返ると、どうにも引っかかるんですよね。
- 霞ヶ浦で苦労して仕留めたカモ
- 手を合わせて「ありがとう」と感謝
- 解体して、おいしそうに焼いて…
- そのことをすっかり忘れて塔に全力疾走
そして、もてぎパートでカモそのものが直接ストーリーに絡んでくることはありません。
じゃあカモは何だったのか。あえて考えてみると――
- 命の循環モチーフとしての“予習”
- 冒頭で、カモの命を奪って自分の体に取り込む
- 終盤で、ホタルを「人の魂」として語り合う
→ 「生き物の命は形を変えながら巡っていく」という感覚を、
レンコンとカモで地に足ついた形で提示した上で、抽象的な“魂”の話に入っていく構造。
- “飛び立つもの”と“走り続けるもの”の対比
- カモは湖から空へと三次元に飛び立つ
- ヨーコとアイリは、舗装されたサーキットをぐるぐると周回する
→ どちらも「移動する存在」だけれど、
自由度も、縛られ方もまるで違う。
- 単純に「終末グルメ&ボケ要員」
- この作品、毎回その土地らしい食べ物ネタを絡めてきます。
- 霞ヶ浦=レンコン+水鳥ジビエ、という“らしさ”を出しつつ、
「忘れてた!」というボケでテイストを軽くしている。
3の“ご飯&ボケ要員”だけでも十分機能しているんですが、
1と2のモチーフとしてもフワッと効いているあたりが、この作品の良い意味での“ゆるい深さ”かなと思います。
「絶対に重要な伏線です!」という顔をせずに、
さりげなく“死と生の循環”を置いていく。
このさじ加減が好きなんですよね。
モビリティリゾートもてぎ:夢のサーキットと現実の速度差
モビリティリゾートもてぎってどんな場所?
Bパートの舞台、モビリティリゾートもてぎ。
現実には、栃木県芳賀郡茂木町にある大型モータースポーツ施設です。
- 1997年8月、「ツインリンクもてぎ」として開業
- 2022年に「モビリティリゾートもてぎ」に改称
- オーバルコースとロードコースを併設した“ツインリンク”構造が特徴
- ロードコース全長は約4.8km、コーナー数14(右8・左6)、最大ストレート762m、最大高低差約30mという国際規格
- SUPER GTや二輪ロードレース世界選手権(MotoGP日本GP)など、世界トップレベルのレースが多数開催されてきた
2025年現在も、MotoGP日本グランプリをはじめとしたビッグレースや、家族向けアトラクション・キャンプイベントなどを行う“モビリティパーク”として稼働中です。
そんな場所を、「お姉ちゃんが走ったサーキット」として憧れ続けてきたヨーコ。
夢の中でも、実際のコースをレーシングバイクで全開走行するシーンが描かれ、そのスピードと轟音に圧倒される…という流れは、モータースポーツ好きとしてはかなり胸が熱くなります。

電動セローでは“速さ”を感じられない必然
しかし、夢の余韻を抱えて翌朝、
ヨーコが「昨日の感動を再現するぞ!」とセローでサーキットを1周してみると――

「全然速くない」
「全く興奮しない」
そりゃそうだ、と同時に、彼女のがっかり感にちょっと胸が痛くなる瞬間でもあります。
理由を整理すると、
- そもそもセローはオフロード寄りのトレールバイクで、
サーキット走行に特化したレーサーではない - ヨーコのセローは、終末世界仕様として電動化&航続距離優先チューンになっている
- 高速よりも「どこまでも行けること」が重要視された設定
つまり、
「サーキットの“魂”であるスピードと轟音」を体現するには、
あまりにも非力で静かな相棒
なんですよね。
ここで浮かび上がるのは、
「同じ場所に立っても、同じ時代の“熱”は取り戻せない」
という、どうしようもない事実です。

観客席に誰もいないサーキット。
かつては大歓声とエンジン音が渦巻いていた場所を、
静かな電動オフローダーが二人乗りでトコトコ巡回する。
その“温度差”こそが、
ヨーコの「夢と現実の速度差」になっています。
アイリの「乗りたい」→足が届かない→二人で一周
それでもアイリは、「セロー乗りたい」と目を輝かせる。
いざまたがってみたら、足が地面に届かない。
そこでヨーコが後ろに乗ってバランスをとり、二人でコースをゆっくり1周。

速さも、レコードラインも、ラップタイムも関係ない。
ただ、ヨーコとアイリが一緒にサーキットを回るだけの“のんびりレース”。
正直、モータースポーツ好きとしては、
「そこはもっと回していいんだよ!」と言いたくなる一方で、
このスローペースこそが、今のもてぎの「正しい使い方」に見えてくるのが不思議です。

観客のためのサーキットではなく、
ヨーコとアイリだけの、すごくパーソナルな遊び場。
終末世界に残された巨大な“おもちゃ”を、
誰にも遠慮せず、自分たちなりのペースで楽しんでいる。
ここには、
「かつて世界最速を競った場所を、今はゆっくりと“生き延びるための遊び場”にしている」
という、時代の使い方の変化がさりげなく描かれています。
ホタルと「魂って何?」:5つの視点からの読み解き
ホタルを“魂”と見た昔の人たち
日が落ち、山の夜は一気に暗くなります。
ヨーコ:「山って日が落ちるの早いね」
アイリ:「早い、関東平野と違う」
そんな会話の最中に、ふと宙に浮かぶ小さな光。
ホタルが舞っているのを見て、ヨーコはぽつりと語り出します。

「ねえアイリ、ずっと昔の人はね、この蛍の光を人の魂だと思ってたんだって」
これは、日本だけでなく世界各地に見られる“光=魂”のイメージそのものです。
- 人魂(火の玉)やウィルオーウィスプの伝承
- ホタルの光を、亡くなった人の魂や精霊とみなす民話
など、民俗学的にもよく知られたモチーフですが、
この作品の中では、それがとても静かでささやかな会話として差し込まれます。
アイリ「魂って何?」→ヨーコ「魂は魂だよ!」
そこでアイリが、真顔で問い返すわけです。

アイリ:「魂って何?」
ヨーコ:「え?何って言われると…生き物の体に宿っている…えーっと、魂は魂だよ!」
ここ、完全に“定義放棄”なんですけど、
それが逆に真に迫っているのが面白いところ。
今までの旅を思い出してみると、
- ロボお父さんの“魂の帰還”と呼びたくなる選択
- アキバタローがAI放送に自分の意志を託したこと
- 姉チコのツーリングラムや、夢に出てくる姿
- 豪邸の寝室で、見えない誰かに合掌したヨーコ
…と、「魂」という言葉を使わずに、魂の話ばかりしてきた作品なんですよね。
なのでここでは、いったん整理のために、
「魂とは何か」を5つの視点から見てみます。
科学的視点:脳と情報としての“意識”
現代科学の立場からは、魂の代わりに、
「脳の神経活動が生み出す主観的な体験=意識」
が使われることが多いです。
- 記憶・感情・思考は、脳内のシグナルのパターンと化学物質の働きで説明される
- 心肺停止後、脳の活動が失われれば、その“体験としての自己”も消える
この視点だと、アイリのような高度AIは、
- 人間の脳構造や情報処理を模したシステム
- その中で「自己」と「他者」を認識しているなら、それも一種の“魂的現象”
とみなせる可能性があります。
でも、アイリは「魂って何?」と聞かれて「わからない」と答える。
自分の内部で何が起きているかを、完全に自覚することはできない。
これは、人間が自分の脳内現象を100%理解できないのと同じで、
“魂”や“意識”というものの本質的な難しさを象徴している気がします。

宗教的視点:肉体を離れて存続する霊
多くの宗教では、魂は、
「肉体が滅んだあとも、別の次元で存続する霊的な存在」
として扱われます。
- キリスト教やイスラム教では、死後も魂が天国・地獄などで裁かれ、生を続ける
- 仏教・ヒンドゥー教では、輪廻転生によって魂が別の肉体に生まれ変わる
- 日本の神道や民間信仰では、山や川、家や道具などに魂が宿るとされる
第2話のロボお父さんは、サイボーグでありながらも、
最終的に海へ身を投じることで、
「魂が家族のもとへ帰る」物語として描かれていました。
ブログでも、彼の選択を“自死”ではなく、“魂の帰還”として解釈していましたが、
それはまさにこの宗教的な魂観と親和的です。
民俗・オカルト的視点:異界との境界に灯る光
民俗・オカルトの世界では、
ホタルや火の玉などの光は、
「あの世とこの世の境界に灯るサイン」
として描かれることが多いです。
- 山の向こうからふっと現れる人魂
- 川辺に揺らめく謎の光
もてぎの森で舞うホタルの光も、
- 廃墟と化したサーキット(人間の世界)
- それを包む森(自然の世界)
その境目で、
かろうじて二つの世界をつなぎとめている“境界灯”のように見えます。
ヨーコがそこに“魂”を見出し、
アイリが「魂って何?」と問うのは、
人が消えた世界に、なおも漂う“誰かの気配”を、
感じ取ろうとしている行為
なのかもしれません。

心理学的視点:記憶と関係性としての“魂”
もう少し世俗的な解釈をするなら、魂とは、
「ある人が他者に与えた影響と、その記憶の総体」
とも言えます。
- 姉チコの言葉や写真、残したSNSの足跡は、今もヨーコの中で生き続けている
- ロボお父さんの選択は、ヨーコとアイリの「生き方」に静かな影響を与えた
- アキバタローのAIラジオは、彼の「未来への希望」を時を超えて伝えた
肉体はとっくに滅んでいても、
その人の価値観や愛情は、誰かの中で生き続ける。
この意味での“魂”を、この作品は非常に丁寧に描いてきました。
物語論的視点:語り継がれる“物語”そのもの
最後にもっとメタな話をすると、魂とは、
「物語として何度も語り直される“誰かの人生”」
と定義することもできます。
- 歴史上の英雄も
- 無名の誰かの日記も
物語として残り、それが読まれ、語られ続ける限り、
そこに“魂”は宿り続ける。
『終末ツーリング』の構造は、まさにこれです。
- 現在進行形の物語:ヨーコとアイリの旅
- 過去の物語:姉チコ、ロボお父さん、アキバタロー、東京の豪邸の主…
それらの物語が重なり合い、
ヨーコのスマホの写真や記憶、“夢”という形で再生され続けている。
彼女自身が、「終末世界の語り部」となっている。
そう考えると、
ヨーコの中に宿っているのは、
もはや一人分の魂ではなく、
この世界で生き、死んでいった人たちの“魂のアーカイブ”なのかもしれません。
本作における“魂”のスタンスと、8話の位置づけ
ヨーコとアイリの“わからなさ”を肯定する物語
ここまでのエピソードと8話の会話を総合すると、『終末ツーリング』は、
- 魂を純粋な宗教的存在だとも
- 単なる脳の現象だとも
- データの塊だとも
言い切りません。
ロボお父さんのようなサイボーグにも、
アキバタローのようなAIにも、
姉チコの写真や夢にも、
同じように“魂的な何か”が感じられる世界として描いています。
だからこそ、8話の結論が
ヨーコ:「魂は魂だよ!」
アイリ:「わからない」
という“答えになっていない答え”でも、
妙にしっくりくるんですよね。
「簡単に定義できないものほど、大事なものかもしれない」
という感覚を、そのまま肯定しているように思えます。
8話は「魂編」の静かな中継点
7話のつくば研究所で、
- ヨーコ自身の身体や時間感覚がおかしいこと
- 姉チコが仕掛けた“何か”があること
が一気に浮上しました。
その直後に、「湖」「サーキット」「ホタル」「魂」という、一見ゆるい回を挟む。
でも、その中身は、
- 命をいただく(カモ・レンコン)
- 環境と人間活動の爪痕(霞ヶ浦)
- 過去の熱と今の静けさのギャップ(もてぎ)
- そして「魂って何?」という根源的な問い
と、
実は“魂編”のど真ん中を静かに通過している回でもあります。
大きな謎解きの前に、
一度足元を見直すような、静かな中継点。
だからこそ、視聴直後に「何だったんだろう」と感じるのは当然で、
むしろその“余白”こそが、この回の役割なのだと思います。
8. おわりに:のんきな終末世界で、魂は今日も揺れている
霞ヶ浦の泥にまみれながらレンコンを掘り、
Tシャツからチラッと見える大人びた身体をアイリにいじられ、
カモを解体しておいしく焼いているうちにカモの存在を忘れ、
塔に登って富士山を眺め、
憧れのもてぎサーキットで夢と現実の速度差にちょっとがっかりして、
最後はホタルの光を見上げながら「魂って何?」と首をかしげる。
こうして並べると、第8話って本当に、
「すごくのんきで、でもじわじわ重たい」
不思議な回だったなと思います。
ストーリー的には、大事件も大きな謎解きもありません。
でも、その足元には、
- 命のやりとり
- 環境の傷跡
- 過去の熱と今の静けさ
- そして“魂”という言葉でしか触れられない何か
が、ずっと流れていました。
7話・8話と、“よくわからない回”が続いたように見えて、
実はどちらも、世界の根っことヨーコ自身の根っこを
静かに掘り進めている回です。
せっかくここまで一緒に旅をしてきたのだから、
このよくわからなさごと、最後まで付き合ってみたい。
ホタルの光のように、
消えそうで、でも確かにそこにある“魂”を追いかけながら、
ヨーコとアイリの終着点を見届けたいなと、改めて思わせてくれる第8話でした。
ません。失われた世界で、自らの魂の在り処を探求する、壮大で、少しだけ怖い、愛の物語です。
旅の思い出を、あなたの手元に。『終末ツーリング』の世界を深く味わうアイテムたち
物語の世界にどっぷりと浸かった後は、その余韻をもっと長く、深く楽しみたくなりませんか?ここでは、ヨーコとアイリの旅をいつでも追体験できる、珠玉の関連アイテムをご紹介します。アニメだけでは味わいきれない魅力を、ぜひあなたのコレクションに加えてください。
物語の原点へ―活字と絵で旅する、もうひとつの『終末ツーリング』
アニメで描かれた旅の続きや、あのシーンの裏側が気になっているあなたへ。さいとー栄先生による原作コミックスは、まさに旅の原点です。アニメでは省略された細やかな風景描写や、ヨーコとアイリの心の機微が、静かで美しい筆致で丁寧に綴られています。ページをめくるたびに、乾いた風の匂いや、セローのエンジン音が聞こえてくるかのよう。アニメで感動したあの場面も、原作で読むと新たな発見があるはずです。現在、最新8巻まで発売されており、物語はさらに奥深く、世界の謎へと迫っていきます。二人の旅の始まりから最新の展開まで、あなたのペースでじっくりと追体験してみませんか?活字と絵が織りなす、もうひとつの終末世界があなたを待っています。
ヨーコとアイリが、いつもあなたのそばに。旅の風景を切り取るアクリルスタンド
「あの旅の風景を、いつでも眺めていたい」。そんな願いを叶えてくれるのが、ヨーコとアイリをかたどったアクリルスタンドです。ゲーマーズの記念ストアなどで販売されているアイテムには、二人が仲良く並んだ描き下ろしイラストを使用した大型のものから、旅のワンシーンをSNS風に切り取ったユニークなキーホルダーまで、様々な種類があります。机の上や本棚に飾れば、そこがたちまち終末世界の絶景スポットに。ふとした瞬間に彼女たちの姿が目に入るたび、旅の思い出が蘇り、日々の生活に彩りを与えてくれるでしょう。また、Blu-ray&DVDの完全生産限定版には、原作者・さいとー栄先生描き下ろしのアクリルスタンドが特典として付属するものも。ここでしか手に入らない特別な二人を、ぜひお迎えしてください。
旅の瞬間を、一枚のアートに。集める楽しみが広がる特典イラストカード
一枚一枚に、旅の記憶が凝縮されたイラストカードは、ファンにとって見逃せないコレクションアイテムです。これらの多くは、コミックスの店舗別購入特典や、ポップアップストアなどのイベント限定で配布される非売品。つまり、その時に、その場所でしか手に入らない、非常に希少価値の高い逸品なのです。描き下ろしの美麗なイラストは、ヨーコとアイリの何気ない日常や、旅の途中で見せた特別な表情を切り取っており、見るたびに胸が熱くなります。コンプリートを目指して各店舗を巡るのも、コレクターとしての醍醐味。ファイルに収めて自分だけの画集を作るもよし、お気に入りの一枚を額に入れて飾るもよし。旅の断片を集めるように、あなただけの『終末ツーリング』の思い出を集めてみてはいかがでしょうか。
あの感動を、何度でも。旅情を彩る珠玉のサウンドトラック
『終末ツーリング』の静謐で美しい世界観を語る上で欠かせないのが、心に深く染み渡る劇伴音楽です。音楽を担当するのは、『Re:ゼロから始める異世界生活』や『キングダム』など数々の大ヒット作を手掛けてきた末廣健一郎氏。彼の作り出す音楽は、世界の終わりがもたらす寂寥感と、それでも旅を続けるヨーコとアイリの温かい心の交流を見事に表現しています。2025年12月3日に発売されるオリジナル・サウンドトラックは、その珠玉の劇伴全43曲を収録した豪華CD2枚組。これを聴けば、アニメの名シーンが鮮やかに蘇ります。ドライブのお供にすれば、いつもの道が終末世界のツーリングコースに変わるかもしれません。読書や作業用のBGMとしても最適。耳から旅する『終末ツーリング』を、ぜひ体験してください。
最高の画質と音響で旅を追体験!永久保存版Blu-ray&DVD
アニメ『終末ツーリング』の美しい映像と音楽を最高のクオリティで永久に保存したいなら、Blu-ray&DVDは必須アイテムです。高精細な映像は、廃墟と化した街並みのディテールや、雄大な自然の色彩を余すことなく描き出し、まるで自分がその場にいるかのような没入感を与えてくれます。特に、全4巻で発売される完全生産限定版はファン垂涎の豪華仕様。原作者・さいとー栄先生描き下ろしの全巻収納BOXやアクリルスタンド、さらにはヨーコとアイリが歌うツーリングソングカバーを収録した特典CDなど、ここでしか手に入らないお宝が満載です。お気に入りのシーンを何度でも繰り返し観たり、一時停止して細部をチェックしたりと、配信では味わえない楽しみ方ができます。ヨーコとアイリの旅の記録を、ぜひあなたのライブラリの特等席に加えてください。
作品情報
最後に、放送・配信情報をまとめておきます。お住まいの地域や利用しているサービスに合わせて、視聴計画を立ててくださいね!
テレビ放送日程
2025年10月4日(土)より、順次放送しています。
- TOKYO MX: 10月4日(土)より 毎週土曜23:30~
- とちぎテレビ: 10月4日(土)より 毎週土曜23:30~
- BS11: 10月4日(土)より 毎週土曜23:30~
- 群馬テレビ: 10月4日(土)より 毎週土曜23:30~
- メ~テレ: 10月4日(土)より 毎週土曜26:30~
- 読売テレビ: 10月6日(月)より 毎週月曜25:59~
- AT-X: 10月6日(月)より 毎週月曜23:00~
- ※リピート放送:毎週水曜11:00~、毎週金曜17:00~
※放送日時は編成の都合等により変更となる場合もございますので、視聴の際は各局の番組表をご確認ください。
VOD配信日程
地上波放送を見逃してしまっても安心です。本作は各種動画配信サービスでの配信も非常に充実しています。特に一部サービスでは地上波と同時に最速配信が行われるため、いち早く物語を追いたい方には見逃せません。
- 地上波同時・最速配信(10月4日(土) 23:30~)
- ABEMA
- dアニメストア
- 10月7日(火) 23:30より順次配信開始
- niconico
- U-NEXT
- アニメ放題
- Lemino
- DMM TV
- FOD
- バンダイチャンネル
- Hulu
- TELASA(見放題プラン)
- J STREAM
- milplus 見放題パックプライム
- Prime Video
- アニメフェスタ
- TVer
- ytv MyDo!
- HAPPY!動画
- RAKUTEN TV
これだけ多くのプラットフォームで配信されれば、ご自身のライフスタイルに合わせて視聴しやすいですね。見放題サービスに加入している方は、ぜひマイリスト登録をお忘れなく!
※配信日時も変更になる場合がございますので、詳細は各配信サービスの公式サイトにてご確認ください。
自分のペースでじっくり観たい方は
👉使用した画像および一部の記述はアニメ公式サイトから転用しました。
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