ヴェゼルでおでかけ!宮崎・日南、絶景のモアイと歴史ロマン香る”小京都”飫肥を巡る旅

こんにちは!びわおちゃんブログ&ヴェゼルでお出かけ!へようこそ。
2025年10月25日に納車されたばかりの新しい愛車、後期モデルのハイブリッドヴェゼル。その記念すべき初ロングドライブの目的地に選んだのは、太陽と神話の国、宮崎県日南市です!大分市を朝出発し、東九州自動車道を南へひた走ること約4時間半。心躍る快適なドライブを経て私たちが訪れたのは、まるで海外リゾートのような「サンメッセ日南」と、しっとりとした歴史が香る「飫肥城址」。この二つの場所は、同じ日南市にありながら、まったく違う魅力で私たちを迎えてくれました。太平洋を見下ろす丘に佇むモアイ像、その背景に隠された国境を越える感動の物語。そして、苔むした石垣や力強い杉木立に往時の面影を色濃く残す城下町「九州の小京都」での、心安らぐ散策。今回は、そんな絶景と歴史、そして美味しいグルメまで詰め込んだ、忘れられない宮崎・日南の旅の思い出を、前回よりさらに深く、たっぷりとお届けします。

ヴェゼルを走らせ、日南海岸の絶景ルートへ

サンメッセ日南を目指し、日南海岸のワインディングロードをヴェゼルで駆け抜けます。この道は、左手に雄大な太平洋を望む、日本屈指のドライブコース。目的地に着く前から、旅の期待感は最高潮に達していました。私たちは、かつて宮崎観光の象徴だった絶景スポットに立ち寄ることにしました。

昭和の栄華と今の静けさ「堀切峠」

まず私たちがハンドルを切ったのは「堀切峠」。昭和40年代、宮崎が全国的な新婚旅行ブームに沸き、「ハネムーンのメッカ」と呼ばれた時代、この場所は定番の記念撮影スポットでした。多くの新婚カップルがここで未来を誓い、記念写真を撮ったという、まさに宮崎観光の栄華を象徴する場所です。

バス停の看板を奇麗にしてほしいが


そんな輝かしい歴史を聞いていたので、さぞかし絶景が広がっているのだろうと期待に胸を膨らませて車を降りました。しかし、正直な感想は「あれ、思ったほどではないな…」というもの。

うーん…

断崖絶壁から海を見下ろす景色は確かに雄大ですが、あいにくこの日は曇り空。空も海もどんよりとした鉛色で、パンフレットで見るような真っ青な絶景とはいきませんでした。展望所にいたのも、私たち夫婦の他に中年カップル(人のこと言えない(笑))が一組だけ。かつての賑わいが嘘のような静けさに、少しだけ時の流れの寂しさを感じました。もしかしたら、突き抜けるような快晴の日に来れば、また全く違う感動があったのかもしれません。

賑わいを見せる「道の駅フェニックス」

堀切峠の少し物寂しい雰囲気を後にして、再びヴェゼルを走らせます。するとすぐに見えてきたのが「道の駅フェニックス」です。こちらは堀切峠とは対照的に、駐車場はほぼ満車状態で、たくさんの観光客で賑わっていました。私たちは先を急ぐため通過しただけで写真は撮れなかったのですが、その活気は車窓からでも十分に伝わってきました。
この道の駅、実はもともと「サボテン公園」という民間の観光植物園だったそうです。それが時代の流れと共に道の駅として生まれ変わり、今では日南海岸ドライブに欠かせない人気休憩スポットになっています。絶景テラスから海を眺めながら味わう名物のソフトクリームは格別だと聞きます。堀切峠の静けさと、道の駅フェニックスの賑わい。ほんの数キロしか離れていない二つの場所の対比に、観光地の栄枯盛衰のようなものを感じたドライブでした。

公式サイトより

【アニメ好き的考察】すずめが住む町はここだった?

さて、この「道の駅フェニックス」ですが、私のようなアニメ好きにとっては、もう一つ特別な意味を持つ場所かもしれないのです。それは、新海誠監督の大ヒット映画『すずめの戸締り』の主人公・岩戸鈴芽(すずめ)が住んでいた町のモデルではないか、という考察です。
以前、私のブログでも書いたのですが、小説版『すずめの戸締り』には、鈴芽が神戸にいる際に「自宅から588km」とスマホの移動ログを確認する場面があります。作中の描写から、鈴芽は九州の港(おそらく大分県の臼杵港)からフェリーで四国の八幡浜へ渡ったと推測できます。このルートを基に、明石海峡大橋から南へ588kmの地点を地図上で探すと、まさにこの「道の駅フェニックス」周辺にたどり着くのです!
映画の冒頭、鈴芽が自転車で坂道を駆け下りていくシーンの、あの美しい港町の風景。あれが宮崎県日南市の油津(あぶらつ)港周辺ではないかという説はファンの間では有名ですが、この「588km」という具体的な数字が、その説をより強力に裏付けているように思えてなりません。
実際に日南市も聖地として盛り上がっており、市内の「道の駅なんごう」には、宮崎県建築士会と日南高校美術部が制作した、あの「扉」のレプリカが設置されたこともあるそうです。物語の始まりの地・宮崎。そんなことに思いを馳せながら日南海岸を走ると、いつもの景色が少し違って、よりキラキラして見えるから不思議です。

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絶景と神秘の融合「サンメッセ日南」を巡る

2025年11月2日、私たちが最初に訪れたのは、太平洋を見下ろす広大な丘に広がる「サンメッセ日南」です。この日は残念ながら突き抜けるような快晴とはいきませんでしたが、時折雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせる「晴れ時々曇り」の空模様。かえって日差しが和らぎ、潮風を感じながら散策するには最適な気候でした。
妻と二人、大人1人1,000円の入場料を支払い園内へと足を踏み入れると、目の前に広がる日南海岸の雄大なパノラマに思わず息をのみました。

サンメッセ日南ってどんなとこ?

「サンメッセ日南」は、ただモアイ像が立っているだけの公園ではありません。「太陽からのメッセージを受けて地球に許される生き方に気づく」という深遠なテーマを掲げた、地球への感謝と世界の平和を願う場所なのです。

7体のモアイ像


広大な園内は丘陵地帯にあり、一番下の駐車場から頂上の「地球感謝の鐘」までは、かなりの高低差があります。園内を効率よく巡るための有料カート(周遊バス)も運行していましたが、私たちは隅々までこの場所の空気を感じたくて、徒歩ですべての施設を巡ることに。これがなかなかハードで、特に上り坂は息が切れ、日頃の運動不足を痛感しましたが、その分、一歩一歩進むごとに変わる景色や、カートでは見過ごしてしまいそうな小さな発見があり、約1時間半の散策は非常に充実した時間となりました。モアイ像はもちろん、カラフルなオブジェや絶景のブランコなど、園内の至る所にフォトジェニックなスポットが点在しており、歩いて回るからこそ、お気に入りの角度で心ゆくまで写真撮影を楽しめます。

地球感謝の鐘

モアイだけじゃない!丘に広がる絶景フォトスポット

園内には、思わずカメラを向けたくなるようなスポットや、ユニークなオブジェが点在しています。どこを切り取っても絵になる風景が広がっていました。

ヴォワイアン像
  • モアイ像: やはり一番の見どころは、雄大な太平洋を背に、力強く大地に立つ7体のモアイ像です。これは、ただの模造品ではありません。イースター島の長老会から、世界で初めて正式に許可を得て完全復刻された、由緒正しいモアイなのです。7体の像にはそれぞれジンクスがあり、向かって右から仕事運、健康運、恋愛運、全体運(地球平和)、結婚運、金運、学力運とされています。私たちはそれぞれの像にそっと触れ、日頃の感謝とこれからの願いを伝えました。
  • ヴォワイアン像: モアイ像が立つ丘をさらに上ると、カラフルな7体の人型オブジェ「ヴォワイアン像」が並んでいます。「ヴォワイアン」とはフランス語で「見る人」を意味し、その名の通り、海と空、そして丘の下に立つモアイ像たちを静かに見つめています。その色彩豊かな姿は、青い空と緑の丘を背景に、まるで現代アートの美術館に来たかのような気分にさせてくれます。
  • 天空のブランコ: 丘の頂上付近に設置されたブランコは、まさに絶景アトラクション。座って軽く漕ぎ出すだけで、視界には空と海しか入らなくなり、まるで空に飛び出していくかのような爽快感を味わえます。童心に返って思いっきりブランコを漕げば、最高の思い出と写真が撮れること間違いなしです。
  • 寝そべるモアイ: センタープラザの売店入口付近には、横になった姿のユニークなモアイ像のレプリカがあります。そのリラックスしきったポーズは、見る角度によっては鼻に指を突っ込んで鼻くそをほじくっているようにも見え、多くの観光客がそのユーモラスな姿と記念撮影を楽しむ人気スポットとなっていました。
寝そべるモアイ

散策後のご褒美、濃厚マンゴーソフト

心地よい疲労感と共に1時間半のウォーキングを終え、坂道を下りきった後のお楽しみは、売店でいただくマンゴーソフトクリーム(450円)です。宮崎名産のマンゴーをふんだんに使ったソフトクリームは、驚くほど濃厚で、マンゴーそのものを食べているかのような豊かな香りと甘さが口いっぱいに広がります。頑張って歩いた後の火照った体に染み渡る冷たさと甘さは、まさに至福のひとときでした。

【深掘り解説】なぜモアイは「サンメッセ日南」にいるのか?

サンメッセ日南のモアイ像は、単なる観光用のレプリカではありません。その背景には、日本の企業の無償奉仕と、それに対するイースター島からの感謝が織りなす、国境を越えた心温まる物語が存在します。

発端は日本の真心「モアイ修復プロジェクト」

物語は1988年、ある日本のテレビ番組がきっかけでした。1960年のチリ地震津波などの影響で、部族抗争の末に倒されたままになっていたイースター島のモアイ像。番組の中で、島の長老が「クレーンさえあれば、もう一度立たせることができるのに」と寂しそうに語る姿が放送されました。これを見た日本のクレーンメーカー・株式会社タダノの社員たちが、「我々の技術で故郷の宝を蘇らせる手助けがしたい」と心を動かされ、会社を挙げての「モアイ修復プロジェクト」が始動しました。
そして1992年、ついにプロジェクトが始動。考古学者や石工ら専門家チームと共に、自社の大型クレーンをイースター島へ輸送。1995年までの3年間、すべて無償の奉仕で、倒れていた15体の巨大なモアイ像(アフ・トンガリキ)を再びアフ(祭壇)の上に立たせるという、歴史的な偉業を成し遂げたのです。この献身的な文化遺産への貢献に対し、イースター島の長老会と島民は深く感謝し、その友情の証として、神聖なモアイ像の復刻を世界で唯一、日本に許可したのでした。

サンメッセ日南の母体「一燈園」とは

モアイ像復刻の舞台となったサンメッセ日南。その母体は、京都に本拠を置く「一燈園」という団体です。
一燈園は1904年に思想家・西田天香によって創始されました。彼は自らの全財産を他者に施し、無一文で奉仕の生活を送る中で、「自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有せずとも、働きを金に換えなくとも、許されて生かされる」という悟りを得ます。この「無所有」と「奉仕」の精神が教えの根幹にあり、宗教法人格は持たず、財団法人としてその活動を続けています。
彼らの活動は特定の教義や経典に依るものではなく、掃除などの奉仕活動(作務)を通して、生かされていることへの感謝を見出す「生活宗教」です。この思想はパナソニック創業者の松下幸之助など多くの財界人にも影響を与え、法人向けの「勉強会(研修会)」を通じてその輪を広げています。サンメッセ日南は、この天香の精神を顕彰し、大自然(地球)に感謝するために開園されたテーマパークなのです。

「タダノ」と「一燈園」を結んだ思想

モアイ修復を成し遂げたタダノ社と、復刻の地を提供した一燈園。両者を結びつけたのは、単なるビジネス上の縁ではありませんでした。それは「奉仕」という共通の理念が生んだ、深い精神的な共鳴でした。
タダノ社は、企業の利益を度外視した「無償奉仕」で、遠い異国の文化遺産を救いました。この行動は、まさに一燈園が100年以上にわたり説いてきた「無所有・奉仕」の精神そのものでした。事実、タダノ社の創業家は一燈園の思想に深く帰依しており、経営者向けの研修会などを通じて長年の交流がありました。モアイ修復という偉業は、この一燈園の教えが企業活動として結実した姿とも言えるでしょう。

なぜ「日南の地」が選ばれたのか

モアイ復刻の許可が日本に下りた際、その理念を体現するのに最もふさわしいパートナーとして、タダノ社と縁の深い一燈園に白羽の矢が立ちました。では、なぜ京都を拠点とする一燈園が、遠く離れた宮崎県日南市を復刻の地に選んだのでしょうか。理由は複数あります。
第一に、一燈園がこの地に広大な和牛牧場を所有していたこと。そして第二に、牧場閉鎖後の跡地から望む太平洋の雄大な景観が、遠く離れたイースター島を彷彿とさせたことです。
イースター島への敬意、タダノ社の功績、そして一燈園の哲学。これらの要素が奇跡的に重なり、日本の真心への感謝の象徴であるモアイ像は、イースター島と同じように海を見つめるこの日南の地に立つことになったのです。

歴史と風情に心癒される「飫肥城址」

サンメッセ日南の現代的な絶景に心を奪われた後、私たちは車を走らせ、今度は時間を遡る旅へと向かいました。目的地は、しっとりとした風情が漂う城下町・飫肥(おび)。その美しい町並みから「九州の小京都」とも呼ばれています。
私たちは過去に何度か訪れたことがあるため、今回は有料の資料館等には入らず、城跡と城下町の散策をじっくりと楽しむことにしました。苔むした石垣、白壁の武家屋敷、そしてどこからか聞こえてくる子供たちの声。ただ歩いているだけで、日々の喧騒を忘れ、心が穏やかに和んでいくのを感じました。

九州の小京都・飫肥を歩く

飫肥藩5万1千石の城下町として栄えたこの地は、江戸時代初期からの町割りが今も残り、武家屋敷や商人町の町並みが大切に保存されています。その歴史的価値の高さから、1977年には九州で初めて国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
この町が「小京都」と呼ばれるゆえんは、単に古い町並みが京都に似ているから、というだけではありません。「全国京都会議」が定める「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業や芸能があること」という加盟条件を満たした、由緒正しい小京都なのです。


町を歩けば、その理由がよく分かります。水路を優雅に泳ぐ錦鯉、石畳の道、着物姿で散策する人々。まるで時代劇のセットに迷い込んだかのような非日常感がありながら、そこには人々の暮らしが息づいています。
近年、飫肥は歴史を守るだけでなく、訪れる人を楽しませる観光振興にも非常に積極的です。「まちごとミュージアム」をコンセプトに、飫肥城歴史資料館は体験性や物語性を高めた展示にリニューアル。また、毎年11月には、歴史的建造物を舞台に現代アートや音楽、食のイベントが繰り広げられる「飫肥DENKEN WEEK」が開催され、多くの人で賑わいます。こうした地域の努力が、飫肥を一層魅力的な場所にしているのでしょう。

時を越える風格「大手門」と神秘的な「飫肥杉」

城の正面玄関である大手門は、1871年に一度取り壊されたものの、1978年に樹齢100年を超える見事な飫肥杉を使って、往時の姿に忠実に復元されました。どっしりと構える重厚な櫓門(やぐらもん)は、まさに飫肥の顔。春には桜並木が門を彩り、絶好のフォトスポットとなります。

この門をくぐり、旧本丸跡へと続く石段を上ると、空気が一変します。そこは、まっすぐに天を目指す飫肥杉が林立する空間。地面は一面の美しい苔で覆われ、木漏れ日が差し込む光景は「いやしの森」とも呼ばれる幻想的な雰囲気です。NHKの連続テレビ小説「わかば」のロケ地にもなったこの場所は、どこか懐かしく、心が洗われるような清らかさに満ちていました。
中でも特に神秘的なのが、四隅に立つ杉の木「しあわせ杉」です。この4本の杉が作る対角線の交点に立つと、幸せのパワーがもらえると言われるパワースポット。私たちも、その中心にそっと立って目を閉じ、森の静寂と杉の生命力に満ちた空気を深く吸い込みました。

しあわせ杉

100年の争奪戦!伊東氏と島津氏の歴史ロマン

飫肥城の歴史は、まさに戦国時代の縮図です。日向と大隅の国境に位置する交通の要衝であったため、この城を巡って日向の伊東氏と薩摩の島津氏が、100年近くにも及ぶ激しい争奪戦を繰り広げました。
一度は伊東氏が城を奪取するも、再び島津氏に敗れ、当主の伊東義祐は流浪の身となります。しかし、その息子・伊東祐兵(すけたけ)が豊臣秀吉に仕え、九州征伐で軍功を挙げたことで、ついに念願の旧領回復を果たし、飫肥城主へと返り咲いたのです。関ヶ原の戦いでは東軍につき、所領を安堵された伊東氏は、以後約280年間にわたってこの地を治め、飫肥藩の礎を築きました。激しい戦いの末に故郷を取り戻した伊東氏の物語は、まさに歴史のロマンを感じさせます。

食べ歩きの定番!名物「おび天」

飫肥散策の締めくくりは、名物「おび天」の食べ歩きです。お得な「あゆみちゃんマップ」を使えば、このおび天をはじめとする名物グルメと交換できる引換券で、楽しく町を巡れます。
おび天は、近海で獲れた魚のすり身に豆腐と黒糖、味噌などを加えて揚げた、飫肥ならではの郷土料理。ほんのりとした優しい甘さと、驚くほどふわふわとした食感が特徴です。揚げたてのアツアツを頬張れば、その素朴で奥深い味わいに、旅の疲れも吹き飛びます。

  • 元祖おび天本舗: 創業大正12年という老舗中の老舗。昔ながらの製法を守り続け、飫肥城大手門のすぐ近くに店を構えています。食べ歩きにぴったりの揚げたてを提供しており、多くの観光客がまずここに立ち寄ります。
  • おび天 蔵(くら): こちらも大正時代から続く有名店。古い蔵を改装した趣のある店内で、ゆっくりと食事を楽しめるのが特徴です。食べ歩きはもちろん、「おび天定食」など、おび天を使ったアレンジ料理も味わえます。ちなみに僕らは今回こちらのお店を使わせていただきました。
おび天 蔵(くら)

まとめ:南国の思い出を胸に、いざ都城へ!

ヴェゼルでの初めてのロングドライブは、宮崎・日南の多様な魅力に触れる、忘れられない旅となりました。サンメッセ日南の壮大なスケールと、そこに秘められた国境を越えた友情の物語。そして、飫肥城址のしっとりとした歴史の空気と、先人たちが守り育ててきた美しい町並み。濃厚なマンゴーソフトや、ふわふわのおび天も、旅の素晴らしい彩りです。

さて、日南の地を後にして私たちが向かうのは、今夜の宿がある都城市。実は、最初は「地方都市のビジネスホテルかな?」くらいの軽い気持ちで予約した「都城グリーンホテル」が、私たちの旅を想像を絶する「超絶お得な美食旅」へと昇華させることになるのです!なんと、宿泊費が実質1人1,800円になる魔法のプランとは…?
私たちの旅は、まだまだ続きます。気になる都城での美食体験については、次回のブログで詳しくお届けしますので、どうぞお楽しみに!

☆☆☆今回はここまで!また見てね👋


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