2025年の春、一本のオリジナルアニメが大きな期待と共に始まりました。監督は『カウボーイビバップ』で世界を熱狂させた渡辺信一郎氏、アニメーション制作は『呪術廻戦』や『チェンソーマン』で知られるMAPPA。この布陣を聞いただけで、心躍ったアニメファンは少なくなかったはずです。私自身もその一人で、放送前からブログで取り上げるほど注目していました。
実際に放送が始まると、その期待は裏切られませんでした。スタイリッシュな映像、作品世界に深みを与える音楽、そして『ジョン・ウィック』シリーズのチャド・スタエルスキ監督が監修したアクション。そのどれもが、現代アニメの最先端と呼ぶにふさわしいクオリティでした。
しかし、全13話を視聴し終えた今、私の心には賞賛だけではない、ある種の「違和感」が残っています。特に、物語の締めくくりである最終回。なぜ、あれほどまでにシリアスで、時に非情な世界を描いてきた物語が、あのような形で幕を閉じる必要があったのでしょうか。
この記事では、まず『LAZARUS ラザロ』が持つ確かな魅力を振り返りながら、私が感じた最終回への違和感の正体を突き詰めていきます。そして、オリジナルアニメならではの難しさや製作背景を考察し、この物語がたどるべきだったかもしれない、「もう一つの結末」について、私なりの想像を巡らせてみたいと思います。
確かにあった傑作の輝き――アクションと人間ドラマの交錯
最終回への疑問を語る前に、この作品がいかに魅力的であったかを改めて確認しておく必要があります。私が全13話を見届けたのは、紛れもなく、この作品が持つ抗いがたい引力があったからです。
魂を揺さぶる映像と音楽の融合
渡辺信一郎監督の作品は、常に映像と音楽が不可分に結びついています。本作でも、ジャズミュージシャンのカマシ・ワシントンらが手掛けるサウンドトラックが、2052年のディストピア的な世界観に、独特の緊張感と叙情性を与えていました。
MAPPAによる圧倒的な作画クオリティは、その世界観を完璧にビジュアライズしていました。特にアクションシーンのクオリティは特筆すべきもので、毎回の見せ場に息をのんだものです。
物語の頂点、第7話・8話のクリスティン救出劇
この作品の魅力が凝縮されていたのが、第7話と第8話で描かれたクリスティン救出作戦です。この2話は、単なるアクション活劇に留まらず、登場人物たちの過去と現在が交錯する、極めて密度の濃い人間ドラマとして成立していました。

拉致されたクリスティンを追って、チームが北極海の廃棄された油田へと向かう。そこで彼女を待ち受けていたのは、かつての仲間であり、元恋人でもあったロシアの工作員、インガ(CV: 上坂すみれ)でした。

インガはクリスティンの過去の名前「アレクサンドラ」を呼び、彼女を殺すために来たと言い放ちます。しかし、二人の間に流れるのは、単純な殺意や敵意ではありません。そこには、かつて深く愛し合った女性同士だからこそ生まれる、複雑で痛切な愛憎が渦巻いていました。祖国を裏切ってでも共に生きることを選んだ過去があったのかもしれない。インガの行動は、歪んではいるものの、クリスティンを過去の呪縛から解き放つための、最後の愛情表現だったようにも見えました。

一方で、司令官の制止を振り切って、真っ先にクリスティンの救出へ向かったアクセルの行動も印象的でした。普段は軽薄な態度で本心を見せない彼が、この時ばかりは感情をむき出しにします。彼がクリスティンに向ける視線には、単なる仲間意識以上の、秘められた恋心があったことは想像に難くありません。

この救出劇は、スリリングなアクションの中に、クリスティンを巡る過去の愛(インガ)と現在の想い(アクセル)が交錯する、非常にロマンティックでサスペンスフルなエピソードでした。この2話だけでも、本作を観る価値は十分にあったと断言できます。
最終回がもたらした「置き去り感」の正体
これほどまでに濃密なドラマを描いてきたからこそ、最終回の結末は、私に大きな戸惑いをもたらしました。SNSなどでも、この結末の性急さやご都合主義的な展開に疑問を呈する声が散見されました。
あまりにも「優しい」結末への違和感
最終話、ラザロチームは黒幕スキナー博士の真意を知り、人類を救う特効薬の化学式を手に入れます。そして物語は、すべてが解決した後、再び集結したラザロのメンバーが新たなミッションへと向かうような、希望に満ちたシーンで幕を閉じます。

いわゆる**「俺たちの戦いはこれからだ!」エンド**です。
この結末自体が悪いわけではありません。しかし、本作が積み上げてきた、ニヒルでビターな世界観とは、どこか相容れないものではないでしょうか。人類滅亡まであと数日という極限の緊張感が、あまりにもあっさりと、都合よく解消されてしまった。まるで、物語が積み上げてきた重いテーマやキャラクターの葛藤を、すべて置き去りにしてしまったかのような印象を受けたのです。
オリジナルアニメだからこそ「完結」してほしかった
これがもし長期シリーズ化が確定している原作付きのアニメであれば、このような終わり方も理解できます。しかし、『LAZARUS ラザロ』は原作のないオリジナルアニメです。多くの場合、オリジナルアニメは1クール、もしくは2クールで物語を完全に描き切ることが期待されます。
続編の可能性を匂わせる結末は、裏を返せば、この13話だけでは物語が**「未完」**であると宣言しているようなものです。もちろん、監督自身が続編の可能性に言及しているという報道もありますが、それはそれとして、まずはこの13話で一つの独立した物語として、どんな形であれ「完結」させてほしかった、というのが私の正直な気持ちです。
人類が救われるというハッピーエンド自体を否定するつもりはありません。しかし、そこに至るまでの過程があまりにも淡白で、それまで描かれてきた世界の残酷さや、登場人物たちが払ってきた犠牲の重みが、あまりにも軽く扱われてしまったように感じられてなりませんでした。
なぜこの結末になったのか?――作品の背景をめぐる考察
では、なぜ制作陣はこのような結末を選んだのでしょうか。その背景には、現代のアニメ制作を取り巻く環境が関係しているのかもしれません。
大規模プロジェクトとしての「制約」
『LAZARUS ラザロ』は、一般的な日本の「製作委員会方式」とは少し異なり、米国カートゥーン・ネットワークのAdult Swimブロックが主導する、グローバル市場を強く意識したプロジェクトです。アクション監修にハリウッドの著名監督を起用していることからも、その規模の大きさがうかがえます。
莫大な製作費が投じられた大規模な商業プロジェクトであるからこそ、出資者の意向は強く反映されます。世界中の幅広い視聴者層に受け入れられるためには、あまりに後味が悪かったり、難解すぎたりする結末は避けられがちです。「分かりやすく、希望のある結末」を求められた結果、本作が本来持っていたはずの鋭さが、最後の最後で丸められてしまった可能性は否定できないでしょう。
クリエイターの自由と商業的成功のジレンマ
渡辺信一郎監督ほどの才能豊かなクリエイターであっても、巨大な商業的枠組みの中では、100%自身の作家性を貫き通すことは難しいのかもしれません。特にオリジナル作品においては、クリエイターが本当に描きたいものと、ビジネスとして成立させるための着地点との間で、常に綱引きが行われます。今回の結末は、そのジレンマが生んだ、ある種の「妥協の産物」だったのではないでしょうか。
もし「クラウドファンディング」という選択肢があったなら
ここで一つの「もしも」を考えてみたくなります。もし、この作品が別の方法、例えばクラウドファンディングで資金を調達していたら、物語は違う結末を迎えていたのではないか、ということです。
近年、映画『この世界の片隅に』や『狂気山脈』など、クラウドファンディングによって大きな成功を収めるアニメプロジェクトが増えています。この方式の最大の利点は、クリエイターがスポンサー企業の顔色を窺う必要がなく、作品の熱烈なファンと直接向き合える点にあります。
支援者はお金を提供するだけでなく、「この作品を共に創る共犯者」としての意識を持ちます。彼らは、クリエイターが本当に描きたいと願う、より挑戦的で、より作家性の強い結末をこそ望んでいたかもしれません。『LAZARUS ラザロ』ほどの期待値の高いプロジェクトであれば、ファン主導の資金調達によって、商業的な制約から解き放たれた、真に自由な作品作りが実現できた可能性もあったのではないでしょうか。
私が望んだ『LAZARUS ラザロ』――3つの「残酷な結末」
ファンの身勝手な願望だと承知の上で、この傑作にふさわしいと私が考える「もう一つのエンディング」を、3つのパターンで提示してみたいと思います。これらは、物語が示唆してきたテーマに基づいた、残酷で、しかし美しい結末です。
パターンA:犠牲による救済
特効薬の化学式は手に入る。しかし、その生成には「ハプナ」の元となった生物兵器に暴露しながらも生き延びた、ラザロメンバー自身の生命エネルギーが必要だった――。
その事実に気づいたアクセルは、仲間たちに何も告げず、自ら犠牲になることを選びます。彼はクリスティンに「ちょっと野暮用だ」といつもの軽口を叩いて姿を消し、一人で人類を救うための最後のプロセスを完遂させるのです。すべてが終わった後、クリスティンの元には、彼が遺した「お前が生きてる世界なら、悪くない」という短いメッセージだけが残される。彼の愛が世界を救い、しかし愛する人は彼を失う。そんなほろ苦い救済の物語です。
パターンB:間に合わなかった世界
ラザロの奮闘もむなしく、特効薬の完成は世界の崩壊に間に合いませんでした。人類は緩やかに、しかし確実に滅びの道をたどっていきます。
彼らは救世主にはなれませんでした。しかし、絶望の中で彼らは互いを見つめ直します。崩壊した世界で、残されたわずかな時間、彼らは「ラザロ」としてではなく、ただの5人の人間として寄り添い、静かに生きていくことを選ぶ。ラストシーンは、夕日に染まる廃墟で、穏やかな表情で肩を寄せ合う5人の姿。世界は救えなかったけれど、彼らは互いの「世界」だけは守り抜いた。それは敗北でありながら、崇高な愛の物語として幕を閉じるのです。
パターンC:スキナーの歪んだ理想の完成
スキナーがラザロに託した特効薬。それは、実はハプナの毒性を中和する代わりに、人間の闘争本能や苦悩といった「感情」そのものを緩やかに消し去っていく、新たな支配ツールでした。
彼は人類を「痛み」から解放するという名目で、感情のない平穏な世界を創り出す「神」になることを望んでいたのです。ラザロのメンバーがその恐るべき真実に気づいた時には、すでに手遅れ。世界は静かなディストピアへと変貌を遂げ、彼らはその世界の最初の「幸福な住民」となってしまう。スキナーの歪んだ博愛主義が勝利する、完全なバッドエンド。それは、視聴者の心に永遠に消えない問いを投げかける、最も残酷で哲学的な結末です。
結論:忘れがたい傑作が、私たちに遺したもの
『LAZARUS ラザロ』の最終回は、確かに私に消化しきれない違和感を残しました。しかし、その不完全さがあったとしても、この作品が傑作であるという評価は揺らぎません。
むしろ、こうした「置き去り感」や「物足りなさ」こそが、私たち視聴者に「この物語の本当の意味は何だったのか」「自分ならどんな結末を望むか」と深く考えさせるきっかけを与えてくれたのかもしれません。
アクセルが、クリスティンが、そしてラザロのメンバーたちが駆け抜けた2052年の世界。彼らの生き様、葛藤、そして言葉にならない想いの交錯は、たとえ結末に戸惑いを感じたとしても、私たちの記憶に深く刻まれています。
伝説にはなれなかったかもしれない。それでも、『LAZARUS ラザロ』は、私たちに多くの議論と考察の種を残してくれた、忘れがたい一作なのです。
『LAZARUS ラザロ』の余韻を楽しむための特別コンテンツ
『LAZARUS ラザロ』の考察記事をお読みいただき、ありがとうございます。孤独と葛藤を描いた傑作ドラマの世界観に触れた後は、その感動や思索をさらに深める時間も大切です。ここでは、作品の余韻を楽しみながら、あなたの日常をより豊かにするためのコンテンツをご紹介します。
心の孤独と向き合うために
『LAZARUS ラザロ』が描いた孤独感は、現代を生きる私たちの心にも深く響くものでした。登場人物たちが抱えた内面の葛藤は、私たち自身の人生にも通じるものがあります。
孤独と向き合い、自分自身を見つめ直す時間は、時に新しい出会いや関係性への扉を開くきっかけになることも。人との繋がりを大切にしながらも、自分らしさを失わない関係性を築くことは、現代を生きる私たちの課題でもあります。
もし今、新しい出会いを求めているなら、結婚フィーリングテストで自分に合うパートナー像を知るのも一つの方法かもしれません。自己理解を深めることで、より良い関係性への第一歩となるでしょう。
作品の深層を探る
『LAZARUS ラザロ』のような複雑な物語は、一度見ただけでは気づかない伏線や象徴が散りばめられています。作品をより深く理解するためには、様々な視点から考察することが大切です。
ドラマや映画の世界に没頭したいなら、ABEMAの動画配信サービスで他の名作ドラマを探してみるのもおすすめです。様々な作品に触れることで、『LAZARUS ラザロ』の独自性や普遍性をより深く理解できるかもしれません。
日常に取り入れる物語の力
自分を表現する新しい方法
物語が私たちに与えてくれるのは、単なる娯楽だけではありません。自分自身を見つめ直し、新しい自分を発見するきっかけにもなります。
『LAZARUS ラザロ』の登場人物たちが抱えた葛藤や成長の過程は、私たち自身の人生にも重なる部分があるでしょう。自分らしさを大切にしながら、新しい一歩を踏み出したいと思ったとき、ラブコスメのような自分磨きのアイテムを取り入れるのも一つの選択肢です。
人生の転機を大切に
『LAZARUS ラザロ』の物語が示すように、人生には予期せぬ転機が訪れるものです。そんな時、自分の直感を信じて新しい道を選ぶ勇気も時に必要です。
人生の岐路に立ったとき、時には専門家の意見を聞くことで新たな視点が得られることもあります。将来に不安を感じるなら、電話占いサービスで自分の可能性について考えるきっかけを作るのも一つの方法です。
作品から学ぶ人間関係
『LAZARUS ラザロ』が描いた複雑な人間関係は、現実世界での私たちの関わり方にも示唆を与えてくれます。孤独を抱えながらも、誰かとつながりたいと願う心は普遍的なものです。
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『LAZARUS ラザロ』の世界から現実に戻っても、その感動と思索は私たちの心に残り続けます。作品から得た気づきを日常に活かし、より豊かな人生を歩んでいきましょう。
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