こんにちは!びわおちゃんブログ&アニオタWorld!へようこそ。
いつも訪れてくださり、本当にありがとうございます。日々の喧騒の中で、ふと物語の世界に心を遊ばせる、そんなひとときを共有できることを心から嬉しく思います。さて、今週もやってまいりました、『光が死んだ夏』の感想解説。第7話「決意」――この一言が、これほどまでに胸に重く、そして鋭く突き刺さるとは、誰が予想したでしょうか。
あまりにも痛ましく、あまりにも純粋で、そしてあまりにも切ない二人の少年が下した「決意」。それは、壊れかけた日常を終わらせるための決意であり、同時に、歪んだ関係性の中から新たな希望を見出そうとする、血に塗れた始まりの決意でもありました。
今回は、ただストーリーを追うだけでは見過ごしてしまうかもしれない、登場人物たちの心の叫び、演出に込められた深い意図、そして物語の核心に迫る伏線の数々を、いつも以上に心を込めて、丁寧に紐解いていきたいと思います。もしあなたが今、どうしようもない現実に少しだけ疲れているのなら、この物語が、その心の澱を静かに洗い流してくれるかもしれません。よしきとヒカル、二人の魂の軌跡を、一緒に辿っていきましょう。
(ネタバレ注意)本ブログは「光が死んだ夏」の理解を促進するために感想・解説に留まらず、原作の記述等、ネタバレになる部分を多く含みます。アニメ放送時点で明らかになっていない点についても言及することがありますので、ネタバレを嫌う方にはおすすめできません。
しかし、既にアニメ視聴済みの方でも本ブログを読んだ後、アニメを見直すと、さらにこの名作を深く楽しめるはずです。
静かな裏切りの朝、二人がサボった合唱コンクール
第7話は、前回の衝撃的なラストシーンから一夜明けた、静かすぎる朝から始まります。あの夜、親友・朝子を殺しかけたヒカル。その事実を目の当たりにしたよしき。二人の間に横たわる溝は、もはや修復不可能なほどに深い。しかし、そんな絶望的な状況とは裏腹に、日常は何も変わらない顔をして、またやってくるのです。
何もなかったかのような日常と、よしきの胸の内
「ヒカル、学校行くで」
土曜の夜の惨劇がまるで嘘だったかのように、いつも通り自転車でヒカルを迎えに来たよしき。その姿に、ヒカルは戸惑い、そして負い目を感じています。「一昨日のこと、怒っとらんの?」。その問いに、よしきはすぐには答えられません。

よしきの脳裏には、あの夜の光景が焼き付いています。「生きとる方が、大切なん?」と無邪気に問いかけるヒカルと、倒れている朝子。よしきは静かに呟きます。「俺が教えてやらんと」。

【解説①】よしきの「俺が教えてやらんと」に込められた悲痛な覚悟
この「教えてやる」という言葉には、単なる怒りを超えた、よしきの悲痛な覚悟が込められています。彼が教えようとしているのは、ヒカルが根本的に理解していない「人間の命の重さ」と「社会的な倫理観」です。6話でヒカルは、死を「形が変わるだけ」と表現し、よしき以外の命を「一緒にアイスが食えなくなるかどうか」という自分本位な物差しでしか測れませんでした。その絶望的な価値観の断絶を目の当たりにしたよしきは、このままではいけないと悟ります。それは「友達だから」という言葉でごまかしてきた歪な関係を清算し、人ならざる存在であるヒカルに、人間世界の絶対的なルールを、たとえどんな手段を使ってでも刻みつけなければならないという、悲しい決意の表れなのです。
学校に残された「異変」の残滓 – 朝子の異変
よしきとヒカルがサボった学校では、合唱コンクールの本番が始まろうとしていました。しかし、そこにはヒカルが残した「異変」の爪痕がはっきりと見て取れます。
クラスメイトの田所結希に声をかけられても気づかない朝子。肩をつつかれて初めて振り向いた彼女は「ゆうちゃん!いつからおったん?もしかしてアサシン?」と驚きます。そして、右耳を押さえ「聞こえんかった」と呟くのでした。

【解説②】朝子の異変:「アサシン」発言と聴覚異常の理由
朝子の「アサシン?」という一見唐突な言葉は、彼女の無意識下に刻まれた恐怖の表れです。土曜の夜、彼女はヒカルに殺されかけました。その記憶は失っているものの、生命の危機に瀕した体験は、心の奥底にトラウマとして残っています。背後から声をかけられたことに気づかなかった=無防備な状態を突かれたことへの恐怖が、暗殺者を意味する「アサシン」という言葉として、咄嗟に口から飛び出したのではないでしょうか。
そして、より深刻なのが「聞こえんかった」という聴覚の異常です。6話で示唆されたように、朝子には普通の人には聞こえないものが聞こえる特殊な能力があります。その彼女の鋭敏な感覚器が、人ならざる存在であるヒカルに近距離で接触し、そのおぞましい本性に触れてしまったことで、ダメージを受け、機能不全を起こしていると考えられます。これは、ヒカルの存在が周囲の物理法則だけでなく、人間の知覚さえも歪めてしまうことの恐ろしい証明なのです。
最後の思い出作り、その裏に隠された殺意
「今日、学校さぼろうか?」
よしきの突然の提案で、二人は列車に乗り込み、町へ向かいます。それは、これから訪れる悲劇を知る由もないヒカルにとっては、ただただ嬉しいよしきとの時間。しかし、よしきにとっては、一つの関係を終わらせるための、最後の儀式でした。
束の間の逃避行 – 列車と映画館の静寂
列車の中で「ヨシキは、怒っとらんの?」と恐る恐る尋ねるヒカルに、「別に、怒っとらんよ」と静かに答えるよしき。その表情からは、真意を読み取ることはできません。

希望ケ山駅で降りた二人が向かったのは映画館。よしきが指さしたのは『「友達だから‼」Master Master THE MOVIE』というポスター。そこには、6話のよしきのTシャツにもあった「友達」というキャッチコピーが、皮肉なほどに大きく書かれていました。ヒカルに最後の楽しい思い出を作ってやろうとするよしきの優しさと、その裏に隠された冷たい決意が交錯する、あまりにも切ない逃避行です。

交錯する家族の肖像 – よしきの謝罪と父の不在
映画が始まる前、よしきの脳裏には、あの夜、自宅に帰った後の記憶が蘇ります。スマートフォンの画面に映る、今はもう揃うことのない家族4人の写真。それを見つめながら、よしきは静かに呟きました。

「母さん、かおる、父さん、ごめん」
【解説③】よしきの謝罪に込められた訣別のメッセージ
この謝罪は、これからよしきが踏み込もうとしている非日常への、家族に対する訣別の言葉です。ヒカルという人ならざる存在と関わることは、もはや普通の高校生としての人生を捨てることに他なりません。家族に心配をかけ、悲しませ、あるいは危険に巻き込んでしまうかもしれない。そして何より、親からもらったこの身体で、友人を殺めるという大罪を犯そうとしている。その全ての覚悟と罪悪感が、「ごめん」という一言に凝縮されています。彼は、もう引き返せない橋を渡ることを、この時すでに心に決めていたのです。
すべてを包み込む合唱曲 – 美しい旋律と残酷な現実
二人が映画を見ている頃、学校では合唱コンクールがクライマックスを迎えていました。スクリーンに映し出されるのは、よしきのクラスの合唱シーン。その歌声は、映画館の二人、理髪店で働く母、そして山で木を伐る父の姿を、優しく包み込むように流れていきます。

【解説④】合唱曲『日々の影』の歌詞に宿る想い
この合唱曲は、後のエンディングで流れる『日々の影』という楽曲です。劇中ではクラスメイトたちが歌う合唱バージョンとして流れますが、その歌詞は、よしきとヒカルの物語そのものを映し出しているかのようです。
静かに夢を見てごらん
密かに探し求めてごらん
過ぎ去った明かりは戻らなくとも
この胸を躍らせる未来こそ今
「過ぎ去った明かり」は本物の光を、「探し求める」のはヒカルの正体と二人の未来を暗示しているかのよう。美しいハーモニーが、これから起こる残酷な現実との鮮烈な対比を生み出し、物語に深い奥行きを与えています。
【解説⑤】父と共にいた若い男の正体とは?

山でよしきの父・辻中さんと一緒にいた若い男。彼は一体誰なのでしょうか。顔は描かれていませんが、彼の存在はこの後の物語で重要な意味を持ってくる可能性があります。考えられるのは、村の異変を調査するために外部から派遣された人物、例えば後のエピソードで登場する「田中」のような、集落の秘密を探る組織の一員である可能性です。父が「息子とはほとんどしゃべっとらんよ」と語るように、よしきと父の関係は断絶しています。その隙間に入り込み、情報を得ようとしているのかもしれません。
血に塗れた告白 – 壊れゆく関係と、歪な愛の証明
映画を観終わり、川沿いを歩き、いつも通りよしきの家に帰ってきた二人。朝子から送られてきた合唱コンクールの動画を見て「俺も行けばよかったかもなあ」と無邪気に笑うヒカル。その、あまりにも平穏な日常の風景は、次の瞬間、よしきの手によって無慈悲に引き裂かれます。

「やっぱ、死なんのな」 – 友情の終わりを告げる刃
よしきは、隠し持っていた出刃包丁を、ベッドに座るヒカルの腹に突き立てます。返り血を浴び、震える手で「やっぱ、死なんのな」と呟き、頭を抱えるよしき。それは、ヒカルが人間ではないことの最終確認であり、友情という名の幻想が完全に終わりを告げた瞬間でした。

「殺してくれ」 – よしきの絶望と、ヒカルの覚醒
「今日、最初からこうする気で」と呆然とするヒカルに、よしきは畳に顔を押し付け、嗚咽しながら懇願します。

「最後くらい、楽しい思いさせたろうって。死なんのやったら、殺してくれ」
このよしきの絶望的な叫びは、ヒカルの中に眠る“ナニカ”を呼び覚まします。ヒカルの左目から黒い“ナニカ”が溢れ出し、脳内に「殺す?」という文字が渦巻く。しかし、次の瞬間、ヒカルは我に返り、涙を拭います。

「泣いとる場合やない。俺はきっと命の扱いが軽いんや。俺にとっての当たり前は、人間にとっては、多分怖い。きっとそれがあかんのよな」
【解説⑥】ヒカルの覚醒:“ナニカ”の制御と人間性の学習
このシーンは、ヒカルという存在の大きな転換点です。よしきに殺されかけ、そして「殺してくれ」と懇願されたことで、彼は初めて「自分の存在がよしきを絶望させている」という事実を突きつけられました。それは、彼がこれまで理解できなかった「命の価値」や「他者の感情」を、痛みと共に学ぶ、あまりにも強烈な体験でした。
ここで注目すべきは、彼が殺意の衝動(“ナニカ”)を自らの意志で制御したことです。そして「俺はきっと命の扱いが軽い」と、自分を客観視し、人間との違いを明確に言語化しました。これは、単なる模倣ではない、ヒカル自身の「学習」であり「成長」です。よしきの絶望が、皮肉にもヒカルに人間性を教えるきっかけとなったのです。
魂を分かつ契約 – 「居場所」を守るための自己犠牲
自らの過ちを悟ったヒカルは、驚くべき行動に出ます。それは、よしきへの想いを証明するための、あまりにも痛々しく、そして純粋な自己犠牲でした。
「俺の中身の半分や」 – 命の重さを知るための、あまりにも痛々しい学習
ヒカルは、左右にぱっくりと割れた自らの胸に手を突っ込み、内臓のような赤黒い“ナニカ”を引きずり出します。そして、途中でちぎれたその塊を、よしきに差し出しました。

「命の重さ、俺にはやっぱりようわからん。でもこれで、簡単に人殺せんくらいちいそうなったから」
これは、ヒカルなりの贖罪です。命の重さが分からないなら、自らの命そのものを物理的に減らし、弱くなることで、二度と過ちを犯さないようにするという、人ならざる者ならではの、あまりにも直接的で悲しい解決策でした。

「お前は俺の居場所になってくれた」 – ヒカルが求め続けたもの
「何でそこまでして」と問うよしきに、ヒカルは自らの根源的な願いを語り始めます。
「俺は、自分が何なのかよう知らん。…けど漠然と、居場所がないって感覚だけはあって。…理由は何であれ、お前は俺の居場所になってくれたやろ?俺にとってはそれが凄く重要で」
【解説⑦】ヒカルが求め続けた「居場所」とは何か

ヒカルにとっての「居場所」とは、物理的な場所ではありません。それは、「自分の存在を、ありのままに受け入れてくれる他者」そのものです。感情もなかったという彼が、唯一抱いていた「居場所がない」という欠落感。それを埋めてくれたのが、正体を知ってもなお「にせもんでも傍にいて欲しい」と言ってくれた、よしきという存在でした。よしきは、ヒカルにとって初めて得た「ここにいていい」という存在証明であり、世界のすべてだったのです。だからこそ、その居場所を失うくらいなら、自らの命を半分差し出すことさえ厭わない。その行動は、雛鳥が最初に見たものを親と慕う「刷り込み」のようだとよしきは言いますが、ヒカルにとっては唯一無二の、切実な愛の形なのです。
新たな共犯関係の始まりと、未来を照らす『日々の影』
ヒカルの壮絶な告白と自己犠牲を目の当たりにし、よしきの心は再び大きく揺さぶられます。殺そうとまでした相手が、自分のために命を差し出す。その歪で、しかしあまりにも純粋な想いを受け、よしきは新たな「決意」を固めます。
「俺はどこまでもお前に付き合うよ」 – よしきの新たな“決意”
よしきは、ヒカルが差し出す“ナニカ”のかけらを受け取り、自らの胸に押し当てます。

「アホやなあ。俺はどこまでもお前に付き合うよ。たとえ俺のナニカが壊れても」
「お前ここに居ったらあかん存在なんやと思う、せやけどお前の望みが『ここに居る』ことやったら」
「調べよう、お前が一体、ナニモノなんか」
ここに、二人の新たな関係が始まりました。それはもはや、秘密を抱えた「友達」でも、殺す側と殺される側の「敵」でもない。互いの命の一部を共有し、共に世界の謎に立ち向かう「運命共同体」であり、「魂で結ばれた共犯者」です。
エンディングに流れる二人の歌声 – 『日々の影』に込められた意味
ヒカルから溢れ出た“ナニカ”がよしきを包み込み、物語はエンディングを迎えます。ここで流れるのは、普段のエンディングテーマではなく、合唱コンクールで歌われていた『日々の影』。しかし、歌っているのはクラスメイトではなく、よしき(CV:小林千晃)とヒカル(CV:梅田修一朗)本人です。
【解説⑧】『日々の影』の歌詞と演出意図の考察
嬉しさよ友よ漂うあの日々の影追いかけまわる
むなしさよ友よさまよう心を描いて追いかけまわる
幸せよ友よさまよう心を開いて忘れず追い続けていく
この特別エンディングは、アニメオリジナルの鳥肌ものの演出です。この歌詞は、まさに血と涙の果てに新たな関係を結んだ二人の心の叫びそのものです。失われた光(日々の影)を追い求め、虚しさに彷徨いながらも、歪な幸せを忘れずに追い続けていく。二人がデュエットで歌うことで、この歌は彼らの誓いとなり、これからの苦難に満ちた旅路を暗示するアンセムとなるのです。本編で交わされた言葉以上に、この歌声が二人の魂が完全に重なり合ったことを、何よりも雄弁に物語っていました。
終わりに:「決意」が示す、痛みと希望の再出発
第7話のタイトル「決意」は、物語を通してその意味を深く、そして幾重にも変化させていきました。
当初、それはヒカルという異物を排除し、日常を取り戻そうとするよしきの「殺害の決意」でした。しかし、ヒカルの痛ましいほどの純粋さと自己犠牲に触れ、その決意は変質します。ヒカルを殺すのではなく、彼の罪も、存在も、すべてを受け入れた上で、共に生きていく道を探すという「共存への決意」へと。
そして、ヒカルにとってもまた、これは大きな「決意」の物語でした。ただよしきの隣にいたいという本能的な欲求から一歩踏み出し、よしきを傷つけないと誓い、命の重さを学ぼうとする「人間であろうとする決意」です。
血と涙にまみれ、互いの命の一部を分け合うことで、二人はようやく本当の意味で向き合いました。それは決して綺麗事ではない、痛みと犠牲の上に成り立つ、歪で、しかしどこまでも美しい「魂の契約」です。ヒカルの“ナニカ”を受け取ったよしきに、これからどんな変化が訪れるのか。そして二人は、この閉鎖的な村に渦巻く巨大な謎に、どう立ち向かっていくのか。
物語は、本当の意味でここから始まるのかもしれません。絶望の底で交わされた二人の「決意」が、どんな未来を描いていくのか。固唾を飲んで、次の物語を待ちたいと思います。
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👉使用した画像および一部の記述はアニメ公式サイトから転用しました。
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