こんにちは!びわおちゃんブログ&アニオタworld!へようこそ。
皆さんは、毎週楽しみにしていたアニメの最終回を見て、「あれ?なんだか思っていたのと違うな…」と感じた経験はありませんか?僕はあります。つい最近、2025年春アニメとして放送された『ある魔女が死ぬまで』の最終回(第12話)が、まさにそれでした。
今回は、『ある魔女が死ぬまで』の最終回がなぜ少し唐突に感じたのか、その理由を僕なりに深掘りしてみました。そして、そこから見えてきた「アニメの最終回がいかに難しいか」という普遍的なテーマについて、様々なアニメ作品を例に挙げながら、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
『ある魔女が死ぬまで』最終話の違和感の正体
まずは、僕がこのブログを書くきっかけとなった『ある魔女が死ぬまで』の最終回について振り返ってみましょう。

壮大な11話からの反動!最終回の「肩透かし感」が凄かった
物語は、余命一年の呪いをかけられた底抜けに明るい魔女メグが、師匠や仲間との絆を力に奮闘するファンタジードラマです。特にアニメ第11話「潮騒と共に祝福の鐘は鳴る(後編)」は、物語の大きなクライマックスでした。七賢人のジャックと共に魔力汚染の治療法を探る中で、メグは現代魔法から失われた「感情」こそが力の源泉であると発見します。この発見によって魔力汚染に苦しむ少女の治療に成功し、メグに救われたジャックは、彼女の「余命一年」の呪いを終わらせることを固く誓います。
安堵も束の間、水の都アクアマリンに巨大な津波が襲来します。師匠ファウストの「偉大な魔女は逆境にこそ笑う」という教えを胸に、メグは街を守るため決然と立ち向かいます。いにしえの魔女が残した結界を再現すべく、街の人々を守りたいという強い想いを込めた魔法で「祝福の鐘」を鳴らし、見事津波から街を守り抜きました。
実際、主人公メグを演じた声優の青山吉能さんも「今回が最終回かと思えるくらい綺麗にまとまっていた」と語るほど、一つの物語としての完成度が非常に高かったのです。僕もテレビの前で「これぞ神回だ!」と興奮し、最終回への期待は最高潮に達していました。

だからこそ、です。続く最終話(第12話)を見た時の衝撃と戸惑いは、本当に大きなものでした。壮大に盛り上がった第11話の反動が凄まじく、最終回の肩透かし感が半端なかったのです。
これまでの物語の締めくくりというよりは、後日談と新たな旅立ちを描くエピソードでした。
12話(最終回)の内容はこうです。
赤ん坊の頃の悪夢にうなされる主人公メグの元に、『災厄の魔女』エルドラが現れる。エルドラは、メグの師であるファウストに育てられた姉弟子だった。
メグが見ていた悪夢は、彼女が孤児となった事件の記憶であり、その元凶がエルドラであったことが明かされる。エルドラは、自らの家族を殺した軍事国家オルロフへの復讐として、魔力災害を引き起こし国を滅ぼしたのだった。
エルドラから真実を告げられたメグは、復讐ではなく、自身の出生の秘密と向き合うことを選択。故郷オルロフへの旅立ちを決意する。ファウストやラピスの街の人々に見送られ、メグの新たな旅が始まる場面で物語は幕を閉じる。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。しかし、多くの謎が残されたまま、物語が核心に触れることなくフワッと終わってしまった印象は拭えませんでした。僕も「え、ここで終わるの!?」という拍子抜けした気持ちでいっぱいでした。

答えは原作に!最終話は「第3巻への壮大な予告編」だった
この強烈な肩透かし感の正体は一体何だったのか。調べてみると、その答えは「原作ライトノベルとの関係性」にありました。
実は、アニメの第11話までが原作小説の第2巻の終わりにあたる内容だったのです。そして物議を醸した第12話は、アニメ放送開始直前の2025年3月17日に発売された原作ライトノベル第3巻の内容を、映像化したものだったのです。
この第3巻のサブタイトルは『-はてしない物語の幕が上がる-』。その名の通り、作中ではメグの過去や「災厄の魔女」エルドラとの因縁が明かされ、メグが師ファウストのもとを離れ、自身のルーツを探すための新たな旅に出る決意をするまでが描かれています。アニメ最終話で描かれた突然の旅立ちは、まさにこの第3巻の物語への導入部そのものだったわけです。
つまり、あのアニメ最終話は、物語の「完結」ではなく、まさにこの原作第3巻へと続く「新たな物語の始まり」を告げる、壮大なプロモーションだったのです。アニメの公式X(旧Twitter)も「旅の続きは、ぜひ原作小説3巻でお楽しみください」と投稿しており、この販売促進の意図は明らかでした。この事実を知った時、僕の中の違和感はストンと腑に落ちたのです。

アニメ最終回、その終わり方は千差万別!代表的なパターンを紹介
『ある魔女が死ぬまで』の事例は、アニメの最終回がいかに多様であるかを示す一例に過ぎません。ここで少し視野を広げて、僕がこれまで見てきた様々なアニメの「終わり方」をパターン分けしてご紹介したいと思います。
原作完結済みアニメの「完璧な結末」
まず、最も理想的な形の一つが、原作が既に完結している作品のアニメ化です。この場合、制作陣は物語の結末を完全に把握した上で、全話の構成を組み立てることができます。
近年で言えば、『進撃の巨人』や『暗殺教室』がこの代表例でしょう。これらの作品は、長い年月をかけて壮大な物語を紡ぎ、全ての伏線を回収し、キャラクターたちの行く末を最後まで描き切りました。視聴者は物語の完全な終焉を見届けることができ、大きな満足感と感動を得られます。もちろん、結末そのものへの賛否両論はありますが、「物語を最後まで描き切った」という達成感は、何物にも代えがたい魅力です。
原作継続中のアニメの「苦悩の結末」
一方で、最も制作が難しいとされるのが、漫画やライトノベルの連載が続いている最中でのアニメ化です。アニメは1クール(全12話)や2クール(約24話)という決められた話数で一区切りをつけなければなりません。この時、制作陣はいくつかの選択を迫られます。
- 「俺たちの戦いはこれからだ!」エンド(続編示唆型)
原作のキリの良いところで話を終え、「物語はまだまだ続く」ことを示唆して終わるパターンです。アニメの続編制作への期待感を煽る効果がありますが、視聴者からすると消化不良感を抱きやすいのも事実です。「結局、あの敵はどうなったの?」という疑問を残したまま、数年間も待たされるケースも少なくありません。 - アニメオリジナルエンド
原作とは異なる、アニメ独自の結末を用意するパターンです。これは非常にリスクの高い選択です。上手くいけばアニメ版として独立した評価を得られますが、原作ファンからは「解釈違い」「原作へのリスペクトがない」といった批判を受ける可能性もあります。特に、後から発表された原作の展開とアニメの結末が大きく食い違ってしまうと、パラレルワールドとして割り切るしかなくなります。
解釈はあなた次第?「開かれた結末」と考察の楽しみ
中には、意図的に結末をぼかしたり、複数の解釈ができるような「開かれた結末(オープンエンディング)」を採用する作品もあります。
例えば、『新世界より』の最終回は、それまでの物語を根底から揺るがすような事実が明かされ、視聴者に深い問いを投げかけて終わりました。また、衝撃的な最終回として語り継がれる『School Days』も、その結末は多くの議論と考察を生みました。
こうした終わり方は、スッキリとしたカタルシスを求める視聴者には不向きかもしれません。しかし、放送終了後もファンの間で活発な議論や考察が交わされ、作品の寿命を延ばすという側面も持っています。クリエイターが敢えて「答え」を示さないことで、視聴者一人ひとりが自分なりの物語の続きを想像する余地を残しているのです。
なぜアニメの最終回は「難しい」のか?制作現場の裏側を考察
ここまで様々な最終回のパターンを見てきましたが、なぜアニメの最終回はこれほどまでに多様で、時に物議を醸す「難しい」ものになるのでしょうか。僕なりにその理由を考えてみました。
制約との戦い:話数、予算、そしてスケジュール
アニメ制作は常に様々な制約との戦いです。特に最終回は、物語のクライマックスとして作画面でも演出面でも最もクオリティが求められる回ですが、制作スケジュールは終盤になるほど逼迫しがちです。限られた予算と時間の中で、伏線を回収し、キャラクターを描ききり、視聴者を満足させるアクションや感動的なシーンを作り上げるのは、至難の業と言えるでしょう。
また、1クール12話という枠組みでは、原作の膨大なストーリーを全て描き切るのは不可能です。どのエピソードを拾い、どこを削るか。その取捨選択が、最終回の印象を大きく左右します。
原作ファンとアニメ視聴者、両者の期待に応える難しさ
原作がある作品の場合、制作陣は二つの異なる層の期待に応えなければなりません。
一方は、物語の展開を全て知っている「原作ファン」。彼らは原作のあの名シーンがどう映像化されるか、キャラクターの解釈が原作に忠実か、といった点を厳しく見ています。
もう一方は、アニメで初めてその作品に触れた「アニメ視聴者」。彼らは先の展開を知らないため、純粋に驚きや感動を求めています。
この両者を同時に満足させるのは非常に困難です。『ある魔女が死ぬまで』の最終回も、原作ファンにとっては「3巻の予告で嬉しい」と感じる一方、アニメから入った僕のような視聴者には「壮大な肩透かしだ」と感じられたように、受け手の立場によって評価が真っ二つに分かれる典型的な例だったと言えます。
「終わり」がもたらす喪失感とクリエイターの意図
最後に、心理的な側面も無視できません。毎週楽しみにしていた物語が終わってしまうこと自体に、視聴者は大きな「喪失感(ロス)」を抱きます。この寂しさが、最終回への評価を無意識に厳しくさせてしまう側面もあるのではないでしょうか。
また、クリエイター側が意図的に「完璧なハッピーエンド」を避ける場合もあります。綺麗にまとまりすぎた結末よりも、少しビターな後味や、考えさせられる余韻を残すことで、作品が視聴者の心に長く残り続けることを狙っているのかもしれません。
まとめ:最終回の向こう側へ、物語を楽しむということ
今回は、『ある魔女が死ぬまで』の最終回をきっかけに、アニメの「終わり方」の難しさについて考察してきました。
あの最終話が原作第3巻へのプロローグであったように、アニメの最終回は必ずしも物語の「終着点」を意味するわけではありません。続編への布石であったり、原作への入り口であったり、あるいは私たち視聴者の想像力に委ねるための「余白」であったりもします。
もちろん、誰もが納得する完璧な最終回を見たいという気持ちは僕にもあります。しかし、様々な制約や意図の中で作られる多様な「終わり方」を知ることで、私たちはもっと深く、もっと豊かにアニメという文化を楽しめるのではないでしょうか。
もし最終回を見てモヤモヤしたら、それは新たな探求の始まりの合図かもしれません。僕のようにその理由を調べてみたり、原作を手に取ってみたり、あるいは同じ気持ちの誰かと感想を語り合ってみたり…。そうやって「最終回の向こう側」に目を向けることで、作品との付き合い方は無限に広がっていくのだと、僕は信じています。
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