※この記事は、テレビアニメ『これ描いて死ね』第3話「心の心〜これ描いて死ね‼︎‼︎」のネタバレを含みます。
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第3話で描かれたのは、漫研設立に奔走する安海相と赤福幸、そして美術室で出会った藤森心です。
しかし物語は、明るい部活動アニメの顔だけを見せてはくれません。後半に差し込まれるのは、漫画家になることだけを見つめ、就職もしないまま大学を卒業した若き日の手島零でした。
現在の安海たちは漫画によって仲間を見つけ、過去の手島は漫画を描くほど周囲から離れていく――。
同じ「描きたい」という衝動が、一方では人と人をつなぎ、もう一方では人を孤独へ追い込む。この鮮烈な対比こそ、第3話の核心ではないか、と考えます。
第3話あらすじ|笑われた『ネコ太とニャン太』が心へ届くまで
漫研設立の条件|たった一人が途方もなく遠い

漫研を設立するには、最低三名の部員が必要でした。
安海と赤福がいるため、必要なのはあと一人。数字だけを見れば「たった一人」です。しかし、自分の好きなものを目の前に差し出し、「一緒にやりませんか」と誘う一人は、とてつもなく遠い存在でした。
安海は自作漫画『ネコ太とニャン太』を携え、各部室を回ります。ところが返ってくるのは、困惑や遠回しな拒絶、そして笑い声。公式あらすじでも、どの部にも相手にされず意気消沈する安海と、最後に訪れた美術室で藤森心に出会う展開が紹介されています。
安海が傷ついたのは、勧誘に失敗したからだけではありません。
笑われたのが、自分の初めて描いた漫画だったからです。
漫画は紙の上にある別の何かに見えて、描いた人の感覚や経験、恥ずかしさ、願いまで入り込んでいます。「面白くない」と言われれば作品への評価で済むはずなのに、自分自身まで否定されたように感じてしまう。
何かを作って誰かに見せたことがある私たちなら、この痛みの正体に少しだけ覚えがあるのではないでしょうか。
安海の強さ|笑われても次の扉を開けられる
安海は勧誘が上手ではありません。
相手の反応を読み切れず、勢いに任せて空回りします。赤福の豪快な援護も加わり、部室棟への勧誘は、ほとんど討ち入りです。漫画研究会の仲間探しなのに、なぜか戦国時代の風が吹いています。
けれど、少し立ち止まってみましょう。
安海の本当の強さは、上手に話せることではありません。笑われたあとも次の扉を開け、自分の漫画を差し出せることです。
拒絶されるたびに「やっぱり私には無理だった」と引き返しても不思議ではありません。それでも安海は、最後に美術室の扉を開きました。
創作には技術が必要です。しかしその前に、まだ何も起きていない扉を開く勇気が必要なのかもしれません。
藤森心の魅力|「仲間になる!」は内気な少女の叫び

美術室の出会い|言葉より先に心が走り出した
美術室にいた藤森心は、会話が得意ではありません。
安海に声をかけられても言葉が途切れ、視線が揺れます。以前、安海が藤森のキャンバスを落としてしまったこともあり、二人の間には気まずい空気が流れていました。
ところが、漫研への勧誘を受けた藤森の口から突然、
「仲間になる!」
という言葉が飛び出します。
本人も驚くほど迷いのない声でした。普段の藤森なら、相手の顔色をうかがって言葉を選び、結局何も伝えられなかったかもしれません。それなのに、この瞬間だけは心が言葉を追い越したのです。
ただし、彼女はすぐに勢いを引っ込めてしまいます。
勇気は、一度出せば持続するものではありません。踏み出した直後に怖くなり、「今のはなかったことにしたい」と思うこともあります。
勇敢な人とは、恐れない人ではなく、怖さに引き戻されながらも、もう一度相手へ届けようとする人ではないでしょうか。
「とても好き」|上手さではなく心を受け取った言葉

校内の生徒たちに笑われた『ネコ太とニャン太』を、藤森は黙って読み続けます。
そして、静かに伝えました。
「とても好きだな、この漫画」
安海が欲しかったのは、客観的な採点ではありませんでした。
絵が整っている、構成が巧みである、売れる可能性がある――そんな評価よりも先に、誰か一人の「好き」が必要だったのです。
手島は、気持ちが正しく漫画に乗れば、同じ気持ちを持つ誰かの脳を揺らすと語ります。直後に「技術を超えるにも限界がある」と付け加えてしまうあたり、慰め下手にもほどがあります。優しい毛布を掛けた直後、足元から回収するタイプです。
それでも手島の言葉は、藤森によって証明されました。
大勢には笑われた漫画が、たった一人には届いた。
これは「評価なんて気にしなくていい」という単純な話ではありません。作品は誰にでも同じように届くわけではないからこそ、届いた一人との出会いが特別になるのではないか、と考えます。
ヘアピンのすれ違い|悪意がなくても心は見えない
藤森が漫画好きだと打ち明け、美術部が廃部になりそうだと話した直後、安海は彼女のヘアピンを褒めます。
明るく見れば、緊張をほぐす安海らしい言葉です。しかし、ここで違和感を覚えた方もいるかもしれません。
藤森は、安海の漫画の絵を描きたいと思い始めていました。それでも自分から申し出る勇気が出ません。そんな彼女にとってヘアピンを褒められたことは、「私の絵は求められていない」という誤解にもなり得ます。
安海に悪意はありません。
けれど、悪意がないことと、相手の心を正確に受け取れることは別です。
この小さなすれ違いがあるからこそ、藤森が自分で漫画を描き、安海を追いかけ、改めて「仲間になる」と伝える場面が輝きます。心の中の願いは、言葉や行動にしなければ、存在しないものとして通り過ぎてしまうのです。
安海と藤森の合作|二人の足りないものが漫画になる
「私が絵を描きたい」|救われたのは安海だけではない
終盤、藤森は安海へ伝えます。
「安海さんが描く漫画の絵、描きたいな」
安海にとっては、自分の苦手な絵を補ってくれる願ってもない提案です。しかし、救われたのは安海だけだったのでしょうか。
美術部には藤森しかおらず、来年には廃部になる。絵を描く技術はあっても、その絵を誰に届け、何を描けばよいのかが定まっていませんでした。
安海には描きたい物語があり、藤森には描く力がある。
一方が他方を救ったのではありません。足りない部分が噛み合ったことで、二人とも自分の力を置ける場所を見つけたのです。
本作では、漫画の商業化や人気獲得よりも、「漫画が好きだから描きたい」という初期衝動が重視されています。だからこそ二人の合作も、効率的な分業ではなく、「あなたの漫画を一緒に作りたい」という気持ちから始まります。
「じゃあ私は面白い漫画を描く」|役割ではなく約束

藤森の願いに、安海は答えます。
「じゃあ私は、面白い漫画を描く!」
一見すると、原作担当と作画担当の役割分担です。
けれど、この言葉は契約ではなく約束でしょう。
藤森が自分の時間と技術を預ける。だから安海は、それに見合う物語を作る。安海の夢に藤森が付き合うのではなく、二人で一つの作品に責任を持つのです。
この瞬間、『ネコ太とニャン太』は安海だけの漫画ではなくなりました。同時に藤森の絵も、誰にも見つけられず美術室に置かれたままの絵ではなくなったのです。
手島先生の過去|描く夢が人を孤独へ変えるとき

現在と過去の対比|仲間を得る安海、孤独になる手島
現在の安海は、漫画を見せることで藤森と出会います。
過去の手島は、漫画を見せ続けるほど、自分の才能への疑いを深めていきます。
安海の漫画は笑われても、藤森という一人へ届きました。一方、手島はネーム十本、完成原稿四本を描いても、探している「化石」を見つけられません。
同じように漫画へ向かっているのに、進む方向は正反対です。
安海の世界には少しずつ人が増え、手島の世界からは人が消えていく。本編が仲間とゆっくり夢を追う物語である一方、手島の過去を描く「ロストワールド」は、夢の苦しみと挫折を背負う物語だという指摘もあります。
この対比があるからこそ、手島が「プロを目指さないこと」と告げた理由が見えてきます。彼女は夢を否定したいのではありません。夢が好きなものを食い尽くし、人生のすべてを支配する怖さを知っているのです。
編集者の問い|漫画が存在する意味とは何か

若き手島は編集者から、作品のテーマを尋ねられます。
高尚な思想である必要はない。この漫画が存在する意味を、一言で表すなら何なのか――。
手島は答えられません。
彼女の本音は「ただ読んでもらいたい」でした。
それは決して浅い欲望ではありません。漫画は読まれて初めて、他人の中で動き始めます。しかし、「読んでもらいたい」だけでは、数多くある作品の中で、なぜこの漫画でなければならないのかを説明できない。
編集者の問いは正論です。だからこそ逃げ場がないのです。
さらに若き手島は、担当者へこう尋ねます。
「編集さん。名前を教えてください!」
編集者は即座に返します。
「何度も言ってますけど!」
笑える場面ですが、手島の危うさも映しているのではないでしょうか。
彼女の頭は、作品と才能、漫画家になれるかどうかで埋め尽くされています。目の前の人が何度も名乗っているのに、その名前を受け取る余白さえありません。
読者に届きたいと願いながら、目の前にいる一人を見られなくなっている――。藤森の言葉を受け止め、一緒に描く関係を作っていく安海とは、あまりにも対照的です。
化石の比喩|掘っても見つからない才能

手島は、自分の中にある才能を化石にたとえます。
どこを掘ればいいのか。ほかの人はもっと深く掘ったのか。そもそも、埋まっている化石そのものが違うのか。
創作を続ける人にとって、これほど残酷な問いはありません。
努力不足なら、さらに掘ればよい。方法が悪いなら、場所を変えればよい。しかし、自分の中には最初から価値のあるものが埋まっていないのではないか――そう考え始めた瞬間、努力は希望ではなく自己破壊へ変わります。
けれど本当に、手島には何もなかったのでしょうか。
のちに彼女の漫画は、安海の人生を動かします。つまり化石は存在していました。ただし、それは手島が期待していた場所や形とは違っていたのかもしれません。
才能とは最初から完成した宝物ではなく、誰かの心に届いたとき、初めてそこにあったと分かるものではないでしょうか。
「殺意かな?」とタイトル回収|面白さで読者を殺す狂気
コミティアの残酷さ|隣り合う天国と無人島
商業誌で結果が出ない手島は、「だったら同人誌でも」とコミティアへ参加します。
しかし、そこにも平等な創作の楽園はありませんでした。
隣のスペースには人が集まり、自分の前には誰もいない。列はすぐそばまで伸びているのに、その人々は全員、隣の作家に会うために来ています。
物理的な距離は数十センチ。
評価の距離は、水平線の向こうです。
創作イベントは、描きたいものを自由に発表できる場所です。一方で、売れた冊数やできた列、受け取られなかった本によって、反応が目に見える場所でもあります。
みんなが描いている。
みんなが読まれたい。
その中で選ばれるには、自分の漫画でなければならない理由が必要でした。
「殺意かな?」|隠した怨念は線から漏れ出す

手島の本を手にした人気漫画家・へびちか先生は、微笑みながら言います。
「殺意かな?」
若き手島は、暗さを隠し、明るく健全な作品を描こうとしていました。それでも、へびちか先生には見抜かれてしまったのです。この場面は、アニメ化を待ち望まれていた印象的な場面としても反響を集めています。
認めなかった人々を見返したい。
面白さで圧倒したい。
自分を無視した世界へ、作品という刃を突きつけたい。
それは他人を傷つける直接的な殺意ではありません。読者の脳を揺らし、昨日までの自分ではいられなくするほどの漫画を描きたいという、表現者の攻撃性です。
漫画には優しさだけでなく、怒りや嫉妬、執念も乗ります。隠そうとした感情ほど、線の圧や構図の執拗さとなって現れるのかもしれません。
「これ描いて死ね」|命を懸けるなと言った先生
漫研の活動開始を前に、手島は三つの約束を提示します。
- 学業を第一優先にすること
- プロを目指さないこと
- 趣味の範囲に徹し、漫画に命を懸けないこと
そして告げます。
「『これ描いて死ね』などと、漫画に命を懸けないこと」
安海たちは冗談だと思って笑います。手島がギャグを言った――それだけで事件です。しかし、本人は真剣でした。
生徒たちは、手島が本当に「漫画を捨てて就職するか、それとも死ぬか」という場所に立ったことを知りません。
だから彼女の忠告は、大人の建前ではありません。
生還者の言葉です。
手島は「死ぬ気で描く」「殺す気で描く」と自分を追い込み、その果てに完成させた作品で安海の人生を動かしました。しかし、作品が誰かを救ったとしても、作者が壊れかけた過程を美談にはできません。
命を懸けたからこそ、懸けるなと言える。
この矛盾を抱えた言葉にこそ、『これ描いて死ね』というタイトルの痛みがあるのではないか、と考えます。
第3話「心の心」考察|三つの心と二つの創作
藤森心の心|言葉になった願い
第一の「心」は、藤森心という名前です。
彼女の内側には、漫画が好きという気持ちも、安海と一緒に描きたいという願いもありました。しかし、心にあるだけでは安海へ届きません。
藤森は一度言葉を飲み込み、自分で漫画を描き、安海を追いかけます。
「仲間になる!」
心が声になり、行動になった瞬間です。
漫画に宿る心|技術を越えて届くもの
第二の「心」は、漫画へ乗せられた描き手の気持ちです。
『ネコ太とニャン太』は技術的に未熟でした。それでも藤森は笑い、「好き」と言いました。
一方、若き手島は明るい漫画を描こうとしても、その奥にある殺意をへびちか先生に見抜かれます。
心は隠しても作品に現れる。そして漫画に乗った心は、同じ感覚を持つ誰かに届く。
これは技術が不要という話ではありません。技術とは、心を正確に遠くへ運ぶための器なのでしょう。
手島零の心|止めたい先生と描きたい作家
第三の「心」は、現在の手島です。
彼女は生徒たちに漫画へ命を懸けるなと言います。しかし、安海と藤森が一緒に作ろうとする姿を見たとき、子どもの頃の親友を思い出します。
そこには教師・手島零だけでなく、誰かと漫画を作り、誰かに読んでほしかった若き日の手島が残っています。
生徒たちを守りたい。
けれど、そのまぶしさから目を離せない。
止めたいのか、応援したいのか――おそらく、その両方なのでしょう。
手島の心も、きれいに一つへ整理できません。その矛盾を抱えたまま顧問になったところに、彼女の再生が始まっているのではないか、と考えます。
第3話感想まとめ|心は誰かに届いて漫画になる
安海、赤福、藤森の三人がそろい、活動場所も決まりました。
この漫研は、漫画家養成所ではありません。
手島はプロを目指す場にしないと告げています。しかし、その方針は生徒の可能性を奪うためではなく、創作を一人で背負わせないためのものではないでしょうか。
若き手島には、失敗を笑い合える仲間がいませんでした。ネームが通らない痛みも、将来への不安も、家族への罪悪感も一人で抱え込んでいます。手島の苦悩と家族の支えが現実的だったという反響も見られました。
一方、安海たちには漫研があります。
誰かが絵を描き、誰かが物語を考え、誰かが景気よく笑う。
描けない夜が来ても、一人で「描くか死ぬか」を選ばなくてよい。手島が作ろうとしているのは、部活動であると同時に、かつての自分に必要だった避難場所なのかもしれません。
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